そうだ、今から8年と少し前に
彼女と先達はここに来た。

この聖地で真剣な祈りをするには若すぎるのでは?
それくらいのあどけなさを放っていた彼女だったが、
先達の問答にも彼女は臆さず
ありったけの想いをこの熊野にぶちまけた。

その祈りが赤裸々だったのだろう
たくさんの試しをもって
神々はお互い相槌をうちながら、彼女の味方についた。

神が味方についたというか、
神々は彼女に数々の人の縁を与えて
その人々をどう選別してゆくかを診たのだろう。

近寄る者、遠巻きに眺める者、敵対する者、
目の前に立ちはだかる者、姿を見せぬ者、
利益をもたらす者、財をむさぼる者、
愛し合う者、快楽を与える者、苦痛を与える者。
利用を画策する者、課題を与える者、
そんな多くの縁を与えた。

先達が直面させる神々は実態としての神々であるから、
絵に描いた神のように光を与えるわけでもなく、
絵に描いた餅のような幸運をもたらすのでもなく、
ただこの世の、人の一生分以上かもしれない、
喜怒哀楽を発するおびただしい縁を、たった数年間で彼女に浴びせた。

彼女はふと、
神々を味方にするとはどういうことかと考えた時、
神々が与えたそれらの縁を全て、味方にすることだと察した。

果たして彼女は 小単元の自分の人生の切り口を本に著し
小金持ちではなく 富豪となった。
おもしろいと思う事業を軌道に乗せる才覚と、人脈を選別できるようになった。
エンタテイメント性を育ててくれる人と意識を吸い寄せ、歌い、踊った。

そしてこれも祈りであった、大きな家族を作った。
神々へのお礼として、縁あった人の祈願のために、この国で一番新しい神社を創建した。

この世の全ての縁を、味方にしたのである。

だがまだ彼女はひたすら若く
これからが面白い

熊野の神々はこうやって人を育てるから、
神仏と人の歓びを見逃してしまわぬよう
先達はいつまでも若くありたいと思った。