ヒトは劣等感の賜物だと云われます。

そういえば、ヒトの目を気にしながら、
長い時間をかけて自分で積み上げてゆく「そいつ」で、
ヒトは成長したんじゃないかと思えるくらい、
自分の本来の部分を人の目から隠そうとするよね。

書き直すと
人の目を気にしながら遠ざけた部分に、本来の自分があるのだから、
こりゃあたまったもんじゃない、
自分自身を「恥」にしてしまうことすらある。

さて、「ヒトには個性があるから素晴らしい」
これもよく耳にする言葉だけど、実際どうなんだろう?

「個性の尊重」なんてのもよく耳にする。
どんなもんだ?そいつは。

ヒトの個性は、画一化なんてされなくていいし
ヒトの造った枠なんかに投げ込まれるものでもない。

ヒトの造った枠を欲するのならば、そん中に入れてもらえばいいけど、
お互いの泣かず飛ばずの恥を慰め合うだけで、
その枠から脱することができなくなっちゃうから、
あまりお勧めではない。

そこまではまあいい。みんなそう言うから。

ちょっと方向を変えて、
個性を診るこんな方法を少々・・・・
たとえばカラダのこと。

「妊婦」の画像検索結果

おかあさんには多かれ少なかれ妊娠線がある。
縦横に赤ちゃんを産み出した跡を持つお母さんもいる。

「個性の尊重」って何かを考えるときの例えとして、

妊娠線を持ってるお母さん自身ではなくて、
ぼくの場合、それを見る側の「個性」を考える。
そのほうが個性を引き出しやすいし、判断しやすい。自由だし。

妊娠線を持ったお母さんをまるごと見て、
「すごいな、すばらしいな!」と感動できれば、
たぶんお母さんの愛に護られて生きて来たんじゃないかなと想像できるし、
命がけでいのちを生み出した証しとして、身体に刻まれたものであることを知ってる。

目をそらす人は、それよりも大きな傷を背負い続けてることが判っちゃう。。
それがその人の「個性」。
だから「人と成り」の【見方】によって、その「人となり」がとてもよく判る。

つまり、こんなことが言えます。
あなたの個性は、なにも壇上に上がって声高らかに主張しなくても、
常に観察されているんです。

人となりは、なりわいでしょ。
その壇上に上がって叫んでる人の個性は
叫んでることではなくて、その人の日常にあるわけですから、
実はそいつを観察されてる。

これが「個性の尊重」だと思う。
違うな「判断」かな? 判断して尊重すればいいんだ。

ということは、「個性」は主張するものではなくて、
観られるものだったんだ!はぁ~ややこしい!

さて、ややこしいから、単独の個性に戻そう。

誰を好きになるか? 何が食べたいか?
どのくらい眠りたいか? そんな嗜好も個性。

人それぞれが、その個性を持って上手に生きようと
することは、「本能」以外の何物でもないでしょ。
そいつを「生存」というのかもしれませんね。

冒頭で出てきた「劣等感」。
個性を劣等感として隠せば隠すほど生きるのが難しくなるし、
劣等感を整理して「個性」にできれば、とても呼吸しやすくなる。

それはね。食、睡眠、性。
この三大要素のうちで一番秘められているところにポイントがあると思ってます。

つまり「性」です。
これ、何より一番秘めていることなんですけど、秘めているから観られています。

つまり主張しても、嘘をついていても、
正確に観られているあなたの個性なんです。

どうせ、誰に対面しても「性」を見られてるんだったら、
豊かに表現できるようになればいいですね。

そしたら「恥」が消滅して、とても生きやすくなる。

性が豊かでないセクシーを、表に出す女性って悲しいなと思います。
性が豊かな人は、その豊かさを言葉で表すことは不可能だと知ってるから、
「性を解放しよう」などという、あなたに対する悪口を発することはないし、
個人の性を「宇宙のなんたら」に統一して喝采を浴びようとしないと思う。

あなたの生き方から、本当の「恥」を無くしてゆくのは
男も女も一緒なんだけど、
やはり一番隠しておきたい部分である「性」を、
静かに豊かに謳歌するのが一番のようです。