ブログ 巡礼のおはなし

【不都合】

投稿日:2017年2月19日 更新日:

都合いいとこだけ存在を認めて、
不都合な現象は、とたんに ご先祖さまや悪霊のせいにする。
そういうひとは、自分のことを
とても弱いものだと勘違いしている。

私は幸せに生きる力がないから
弱いから護ってもらわなきゃダメだ
というのと

私は幸せに生きる力があるから
信じて護ってくれてありがとう
というのでは

同じ守護でも応援のされ方がだいぶ違う。

全てがいいようにタイミングよくうまい具合にいく、というのは
その主観が常に思いっきり自分にあって、
私の人生に起こることは 今はわからないことでも、
やがて全部いいようになってくんだ、
と心底ハラを括れてる場合だ。

でも側から見たら、そんな人だって
溝にハマったり、へんな店員に当たっちゃったり、
渋滞に巻き込まれることだってあると思う。
でもそれは、ただそうだっただけ。

都合の悪いことなんて、生きてたらみんなあるだろう。
不都合の正体は ただそうだという出来事に反応して
自分から全部、いま、溢れてくる感情そのものだ。

今の自分の怒り、悲しみ、モヤモヤは自分が感じている、という現象だ。
生きているから起こること。
ハートのチャクラが震えている状態。
感情は電磁気として肉体に蓄積するため、
時折、調整の地震のように震わせて生命維持や魂の希望に不要な
その電磁気エネルギーをハートから放出するみたいだ。

そのために、いろんな出来事を使うし、いろんな人を使う。
自分の、ご都合で。

見えない力のせいにするのはとっても簡単なこと。
〔ご先祖さまのせい。悪霊の仕業。あの人が念を飛ばしたからだ。〕

だってそれを意味付けした時点で自分のものではなくなるから。
誰かに感じさせられている、大変な自分、
かわいそうな自分でいることができるから、楽だ。
いやな感情の責任を負わなくていい。

そして、自分のものと認めて放出するまで、同じ形で繰り返される。

ブッダは下痢?になって亡くなったそうだし
キリストだってやっぱり痛々しい最後だ。
悟ってる方の場合は、すべてそういうお役目、で片付けるのに、

自分のときは、何か不都合があれば悪霊の霊障やご先祖さまや水子様や
はたまた生き霊のせいにしたり、
神様に捨てられたと嘆いたりするのでは
神様もご先祖さまもサポートのしようがなくて困るのではないだろうか。

神様のなさることは、人の価値観では計り知れない。
本当はたくさんの意味もあるだろうし、
時空を超えて次元を超えて、
そしてとても具体的に愛されているのだと思う。

見えない世界にはもちろん 見えない世界のいろんなものがいて
様々なフィールドでみんな動いてる。
だから霊障だってあるし、生き霊もいっぱい念を飛ばしあってるし、
ご先祖さまからのいろんなサポートだけでなく、
要望だって実際にはあるのだけれど、
それだって未消化な感情を出して幸せに生きるステップだ ととるか、
あがらえない不幸な出来事ととるか、

バックヤードも含めた自分の人生に責任をもつ覚悟が
それを通して常に問われているにすぎない。

カタチがない分、シビア。
自分の肉体で感情ごと生きることを放棄した分だけ、
乗り合いバスのように乗っ取られてしまう。

だから、さっさと取り戻そう。

カタチって愛だから。みんな欲しい。
成したい。体験したい。愛したい。愛されたいから。

その覚悟を飲み込んでても当然、起きることは起きる。
やなことだってあるし、喜怒哀楽は生きてる限りある。
けれど、思ったよりも世界は優しいのかもしれない。

お地蔵さまや いろんなご神仏や ご先祖さまのサポートを願い
祈りながら、見えないちからは どんどん応援に回ってもらおう。
ぜんぶ、味方に回ってもらおう。

応援以外は受け付けません!
さぁ共同作業でご一緒に幸せに!
でハラ決めちゃおう。

そのための供養、そのための祈り。
自分のことはなかなか観えないけど
信じてみることはできるから。

おかえりなさい。
ただいま、って
この身に告げて、ど真ん中を行こう。

記: 松本育子


 

 

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