【矢印】
ある宗教団体の勧誘を受けた。
神様ごとの宗教みたいだ。
第一印象の感じは悪くない。
もともと宗教とは知らずに軽い気持ちで、
占い体験に立ち寄った場所だった。
純粋にそこの信者であって恩恵を得ることにピュアであろう男性は、
たじたじしながら
よかったら。。、といって
教祖の活躍ぶりを説明した。
~いかに、現代社会において
それが'”マイナー”ではないものかを~
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《一般常識的にズレていませんよ》
《一般常識的にものすごくメジャーなところで、活躍しているんです》
《だから、とても信憑性のある、安心できる材料があるんですよ》
《ほらほら有名人ともお友達ですよ》
ということを、必死になって説明している。
新聞や雑誌といったメディアツールを使うのはどこでもやることだけど、
やはり一般の垣根を低くするには格好の対象なのだろう。
最後にはおきまりの寄付の話がもれなくついてきた。
《世界のどこどこに寄付して人の役にたっています。
人の助けになっています。そのために、やっています。世界を救うための活動です》
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(そんなものより、おじさんが
自分の言葉で、自分の体験で、
「ここにいて何が幸せで何が楽しくて何を感じて生きてるのか」を
語ったほうがうんと響くのになー。)
人が人を何か説得するときのいろんな表情や表現が面白いなあと観察していたら、
少し慣れた感じの女性が現れた。
彼女も、もちろん、第一印象は悪くない。
その笑顔と距離の取り方に、男性より勧誘レベルは上だと一目でわかる。
勧誘していく人というのはハンターなのだ。
ハンターの気配はすぐわかる。
わざわざ獲物になって観察しているわたしも変な人なんだけれど。
ここにきたのは友達の紹介だった。
好きな友達だ。だから、なんとなく、面白そうだと思って
手相と気学の鑑定にだけ寄ってみた。
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気学は自分でもやるんだけど
なんとなく、人の言葉で聞いてみたい気分だった。
女性は気学の鑑定係りだった。
ご自分でもされるならよくわかってらっしゃいますよねー
といいながら大雑把な気学の鑑定を少し話した。
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そして後は、ローズ系の口紅を記憶に残すほどに、
勧誘営業トークをがんばっていた。
『あら、お綺麗な方!!
わたし何人も鑑定してますけれどやっぱり人相なんですよね。
もう、見ただけでなんていうか希望が見えますね。
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お綺麗なだけじゃなくて花があるから、
人生がうまく進んでいく相をされているわ。
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ここに来る人はね、運命の花開くときに来られる方が多いんですよ。
いままでしんどかったでしょう。
大器晩成と出ていますからこれからなのね。
これからのときにここに来られて、すごいタイミングですよね。
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もっともっとあなたが生きやすく
花開くように ここでいろんなことを教えてもらえますよ。
あら手相からして直観力がずば抜けてる!
霊的に敏感なのでは?
それならもう絶対に不要なものを受けないで
自分を護っていかなくちゃ。
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ここに入ってたらそれもしっかりフォローしてもらえるんですよ。
その才能を活かせるんです。
いやぁ、あなたにはぜひ入って欲しいわ。』
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彼女のエネルギーは決して邪悪ではない。
穏やかでなめらかな口調、 無理のない笑顔、
良かれと思って動く矢印もはっきりしていてブレがない。
営業としてはまずまずの人だ。
ここでも観察していて、
(ああ、人が人をこんな風にして既成のベクトルに乗せていくんだなぁ)
と改めて思った。
・あなたには、これがいい。
・「タイミング」である。
・しんどかったものを救うのは、これだ。
・あなたのここが、活かせる。
・あなたの未来が、変わる。
・変わりたいでしょう? 変えられる方法がこれだ。
・あなたは、普通ではなく特別な選ばれた人だ。
あれだけコモンセンスの情報をはじめに見せておいて
あなたはやっぱり特別なマイナーな貴重な存在だから、というのを
強調するのも対比が面白かった。
ここでも、女性の話の中では
「自分はここに来てよかった、ここなしではありえない」という感想だけで
その人独自のストーリーの端くれすら出てこなかった。
この空間に好き好んで入った以上、
そのわずかな一時間あまりで私が興味があるのは、
なんでこれだけの人がここに集まって
みんなどんなリアルを探していて
どんな本音で生きているのか、
どんな幸せを探してるのか、
なんで仲間を捉えようとするんだろう
人が人を誘う時の言葉の色はどんなだろう
そんなことしか頭になかったけれど、
ちょっとばかし悩んでたときに 友達に、
鑑定いいよ!と聞いてなんとなく足を運んだのは、わたし。
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そのなんとなく寄る人の心理を
がっつり掴みにかかるトークに逆に目が覚めた。
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宗教団体がだめとか
そんなことは一切思わないし
その人たちが幸せならそれでいい。
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ただ、宗教営業トークの中にふくまれるたくさんの矢印には、
簡単に人の足をすくい、乗っけてしまう力がある。
自分で、感じる。自分で考える。
この積み重ねの中で 自分しか自分を、幸せにできない。
みんなそこに悩み、苦しむとき、
自分で体験したものの中から必死で答えを見つけようとしている。
より大きな智慧を、求めている。
追い詰められた人は、誰でも弱い。
そんな時しんどさに共感されたら誰でも心がゆるむ瞬間があるだろう。
ここの勧誘ではそこで
自分で考える、という大切なしくみを放棄しても大丈夫だと説くのだ。
それが、タイミングだと説くのだ。
タイミングだけは、
人の範疇を超えたものだと皆、
こころのどこかで知っているから なおさら、
ブレていれば自分で感じることから簡単に遠ざけられてしまうのだ。
それでいて、あなたはすごい、
あなたは特別、というキーワードで
人に決められた存在意義を
生きることを押し付けられる。
すごくなくていいのに。
特別なのは当たり前なのに。
個性の一部を、強調される。
あなたのお役目、とか使命もそう。
狭い定義に縛り付ける。
宗教に限らず、すべての関係に
おいて、起こっている日常だと思う。
それがやがて自分のベクトルと成りすまして自分を定義するようになると、
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今度はその定義からはみ出る自分に
ストレスを作り、苦しむことになる。
あなたはこうだ、という
どんな決めつけも本来ないところで
人は人と関わっていけるはずなんだ。
そういう繋がりを創っていけるんだ。
事務所を後にして、自分の心の中を見た。
今まで私を動かしてきた中に
今日見たような他人の矢印がどれほど
その力を示していたんだろう。
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知らず識らず、いつの間にか
身に覚えのない 細かな無数の矢印が散らばっている。
生まれて、幸せを生きる。
この心と身体と魂で全力で正直に自分を生きる、という
大きないのちのベクトルの力を、どれほど相殺してきたのだろう。
気付いたら、消えていくもの
人とのぶつかり合いの中で
取れていくもの、へし折っていくもの
人と愛し合う中で溶けていくもの
そんな数々を自覚しながらも
ひと、それぞれが
いのちの大きなベクトルを
堂々と乗りこなして 生きていければいい。
わたしは、それを 選ぶ。
記:2015 松本育子