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男の 熊野詣(くまのもうで)

投稿日:2017年8月23日 更新日:

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男は家系を引き受ける。
引き受けなければ「ならない」のではなくて
自然に引き継いで生まれてくる

ごく一般的に、長男であればその本家、
次男三男であれば、本家の伝統を周到した
新しい家系を引き受ける。
養子入りしたら、元家と婿入り先の両方を引き受ける。
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嫌だ! うるせー! カンケーねぇー!
こう言っても
代々そうなんだから仕方がない。
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根無し草になる人生より、引き受けたほうがましだ。
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先祖はそれを楽しみにしている。
その楽しみにしていることを
裏切ると、君も先祖もしんどい。
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先祖が楽しみにしていることを
君も楽しみにできると、楽しい。
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あたりまえの連綿とした
先祖と子孫の関係性。
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その供養に「宗教」が絡んで、
この現代は少しばかり、ややこしくなってる。
君の動きに、強制的に圧力をかけてくるからだ。
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排他的な方法論、掟(おきて)、手順と、
天国と地獄、善悪、罪と罰を比喩しながら、
逆に先祖のことより宗教儀礼に重きを置いてくる。
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あるいは、別のものに視線を変えようとする。
人を神にしたり、神と見間違う神ではない魂に、
心酔させようとする。
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だから宗教やあらゆる理論は、一旦だけ、忘れたほうがいい。
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何をどうやったらいいかって基本的なことや
自分のできることすらできなくなってしまうので
できることから始めたらいい。
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家系を引き受けることに
おもしろさを感じてくると、
先祖は君に、家系の中身を見せようとする。
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家系が培ってきた成果を伝えようとするから、
それを引き継げば、自然とそうなるし、
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家系にわだかまりがあったのなら
神のみ前で、祓い清めを頼むと懇願されたり、
解決に仏の智慧を借りたいから、
仏のところに連れて行ってほしいと云われる。
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それで、君の動きが蘇る。
これを宗教ではなく「信仰」という。
教義はなく、あたりまえの仕組みがあるだけ。
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そうして暮らしてゆく、没頭もなく、執着もせず、
先祖や家系を腑に落とすだけだ。

そうしていると、周りの人々の、君を見る目が激烈に変わってくる。
「この男は、家系を重んじる男だから信頼できる」と
先祖が、周囲の魂に言い伝えるからだ。
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途上であっても、その志を伝えようとし、
その祈りを応援する、善き伴侶、善き友人、
場、住、職環境を引き寄せようとする。
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そこに空想的なものは何もなく、
すべてリアリズムとして起こることだから、
君は少なくとも
現実のものではない思想からは脱出することができる。
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その代わり、リアルなものに対しての感謝や
大切にしている女性に対しての愛情が芽生える。
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伊勢詣でより、はるかに大切なのは、
男の熊野詣(くまのもうで)

あの世とこの世との橋渡し。
陽の当たらぬ祈りと行動の分野は、
あまりにも現実であるがゆえに、ウソを付けないから。
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一度 詣でれば、君の住む場所でそれを継続できる。
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自分にとっての善き世を創ろうとする、
誓いと祈りの巡礼のはじまり。
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須佐厳
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