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【不動明王 】

投稿日:2018年9月8日 更新日:

 

不動明王さまは、大日如来さまの

化身なのだそうだ。

 

迫力のある忿怒(ふんぬ)の形相、

右手にはの三鈷剣(魔を退散させると

同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る)

と羂索(けんじゃく。悪を縛り上げ、

煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り

上げてでも救い出すための縄)を持ち、

燃え盛る火炎を背負っておられる姿。

 

 

護摩焚きに代表されるその

火だけではなく、滝におられ、

海の波を切る波切り不動さまのように

火と水の両方を象徴されている。

 

つまり、

ひとを生かし動かすシンボルだ。

 

 

お不動さまはこのお姿で、魂を導く。

苦しい時、迷う時、思ったように

進まなくて手足も出ない時、

強い意志を持って進みたい道を行く時、

私たち凡夫は

お不動さまの前に行き、手を合わせる。

 

この苦しみのループを断ち切る智慧をください。

私の中で悩み迷いの元となる執着を

燃やしてください。

道を進むために障りになるものを

祓ってください。と。

 

 

かの弘法大師空海さまが

唐からの帰国の際に嵐に遭い、

船が沈みそうになった時、

波切り不動さまに心願されたところ

その剣で嵐の波を斬り祓い賜り

無事に帰国の途に着かれたという。

 

波切り不動さまは、人生の嵐に

遭った時に、その人の心願を見抜き

本来の魂から願う在り方へと進めるよう

具体的に事を動かされるのだろう。

 

お不動さまの前で手を合わせると

そのひとの心の中に、

大なり小なり何らかの決意が生まれる。

 

ずっと生ぬるく迷っていたいなら、

(変わりたい)と言いつつ

本当は変わりたくないなら、

 

お不動さまはとても恐くて

手を合わせるのも祈るのも

躊躇してしまうかもしれない。

 

けれどたとえ小さな決意でも

この嵐の中でなんとか自ら進みたいと

心から願うのであれば、

 

酷い目に遭った、あれのせいだ

これのせいだ、自分なんてどうせ…

と騒いでいるだけの

シリアスなドラマに浸る事なく、

 

まっすぐに自分とお不動さまを

つなぐ祈りをすることで

そのように動かされてゆく。

 

 

「一切の人々を救うまではここを動かじ」

 

不動明王さまの剣は、よく見ると諸刃の剣だ。

命がけで人を救う

命がけで人を善きように動かす

慈悲がそこにも滲み出る。

 

 

忿怒の相は深い深い慈愛の優しさゆえ。

 

人は突き離されたように感じて

初めて気づく事もある。

 

自分で生きる力を信頼されてこその

厳しさもある。

 

痛みによる自覚や純粋な怒りが

大切な場面での動のエネルギーとして

必要だと知る人の慈悲は、とても深い。

 

 

お不動さまは、手を合わせに来る人の

その小さな決意の火こそが

自らを生きる自灯明となり

次の足元を照らしてゆくことを

変わらずにお伝え下さっている。

 

『のうまく さんまんだ ばざら だん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらたかんまん』

 

意訳: 不動明王さま。どうか迷いを打ち砕いて下さい。障りを除いて下さい。所願を成就せしめて下さい。私にはその決意があります。カン マン。

 

 

 

記:  松本育子

 

 

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