祈るのは自分のためだ。
そしてそれは、誰かのためだ。
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自分のためが人のためになるっていう
裏表ひっくり返したらそうなってたみたいな
この世のカラクリを
自分だけの力ではないヒントで
体感してって、体感させてもらえる。
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そっからどう生きたいのか?!
お任せもできるし、創り上げてもいけるよ!
っていう両端っこをなわとびみたいに持って
人生好きに飛んでみたり
遊んでみればいいよ。
っていう、神様仏様ワールドの懐は巨大。
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生きることが祈りそのものだと思う。
どう今の条件で遊ぶかも
しんどいことを解決したいっていうのも。
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感謝とか幸せとか怖さとか不安とかは
食欲とか睡眠欲とかおならやゲップと
同じじゃないか。
素直に沸いた時に感じて
出したい時に出せばいいじゃないか。
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ただそこには、安心感がやっぱりいるし
一人ぼっちな感覚は誰にでもあるけれど
それが覆っていると素直になれないから、
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祈りは、自分となにかのつながりを
大昔から伝わる懐かしく想定外な世界と
自覚しながら手を合わせて結んでいくこと
なんだろうなと思う。
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外側になく、内側に広がるそのなにか、は
外側からひっくり返るところにもあって
人によってどんな切り口でもどんな道でも
辿り着けるようになってるんだろう。
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神仏に名前をつけて祈るのも
たくさんの祈りの場所を護るのも
みんながそんな結びをして
素直に生きたくて、大切にしてきた。
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ずっと前から、もう作法とかそんなのが
決められるずっと前から
伊勢に天照大神さまを祀って
戦いに挑んだ大海人皇子さまのころから、
もっと前の文明から。
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私たちはみんな、神様仏様からみたら
こども。
だから、もし今、祈りの作法に疲れてたり
毎日こんなにして供養してるのに変わらない
とか、大切な自分の祈りの可能性や期待を
そんな形だけに丸投げしてたりするならば、
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一旦、でいいからノウハウをポイして
ぶっとばしちゃって、
鈍くなった生の感覚を思い出そう。
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好きな神社やお寺に行って
好きな聖地や好きな場所に行って
ぼーーってしてみよう。
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湧くものがなくてもいいし
何かしなきゃと焦ってもいいし
何も出てこなかったりぐちゃぐちゃでも
どんなのでもいいから、そこの神仏に
ありがとう、して抱っこされてみよう。
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抱っこされるだけの自分を許して
そんなのも祈りなんだ、むしろとっても
原始的な祈りなんだって味わってみて。
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幾世代、いつくもの輪廻転生で
やってきたことだって、大丈夫。
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なわとびの両はしをその両手に握って
何しよ!ってにっこり笑えるあなたは
必ずその中にいる。素直な感性の塊として。
わざわざ探さなくても、ずっとそこにいる。
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可能性を、決めつけないでいて。
幸せを簡単に大人ぶって定義しないでいて。
素直さを諦めないでいて。
祈りの無邪気さを許してみて。
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ひっくり返って次々と発見されていく
この世界と手を繋いでいくとき
あなたの世界はきっと、想定外に優しいよ。
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巡禮記 松本育子
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