◎ 熊野ツアーの目的ってなに?
巡禮記の先達は「熊野先達」です。
熊野は魂の終着点であり、また出発点でもある、日本の大切な霊地です。
私たち生きている人間にとっては「誕生」が出発点で、
肉体が無くなってしまったら、この霊地が終着点になりますが、
魂にとっては、再びここが、この世への出発点になります。
あなたの魂が、幾度もここを通って来たことは忘れちゃってるし、
ご先祖さまや、ご縁故の方々で、
まだ魂になっていることを納得していない場合もあるでしょう。
(死にきれない状態)
あなた本人と、あなたに縁のあるそれらの魂を引き連れて、熊野に詣でることは、
生も死も普遍的なものとして受け入れることを
熊野権現に説得されることになります。
その受け入れは、その時点時点の「魂のありかた」を最大限に「謳歌」しようとしている、
その魂たちの何よりの供養となります。
生きていようが死んでいようが、です。
つまり、先祖供養という行為が、日本の信仰の柱となっていて、
お寺をめぐったり、法要したりで先祖供養してますが、
熊野はそれを周到しながら超越して、
生きているあなたの魂の供養ができる、数少ない霊地なんです。
ここでピン!ときた方は、なかなかしっかりと勉強できている方ですね~
普通に生活して、いろんな方法で、肉体や精神のリトリートはできたとしても、
「自分の魂の供養」は熊野をしっかりとしたセオリーで巡ることでしかできないことも数多くあります。
◎熊野先達って?
熊野先達は別名「死神」とあまり名誉とは言えない呼称で呼ばれていますが、
肉体の無くなった魂を、この入り口まで案内し、
迷いを払ってゆくことや、
新しく芽生えた命に宿ろうとする魂が、
この魂の故郷で誓った「幸せな人生を送ること」を思い出させるように、
「生きている間にこの地を踏ませるよう」とする、
熊野権現の手伝いをしているからです。
◎ややこしく書きましたが
つまり、生きているあなたが
「幸せな人生を送る」という魂の誓いを、もう一度振り返って確認し、
そのための智慧を受け取れる体質に変えてゆくというのが
このツアーの一番の重点です。
◎パワースポットツアーではありません
巡禮記をご覧の方でしたら、すでにご承知だと思いますが、
何かのパワーをもらいに行くとか、
龍のようなものを憑けに行くと言った、パワースポットツアーや
スピリチュアルツアーではありません。
何ももらえませんし、
意味の無い変容とかはありません。
何かキラキラとするものに囲まれることも、
手のひらから金粉が出ることもありません。
ですが、どこかで憑いたニセモノの龍も、先祖がらみで脅されたことも、ここで祓えます。
◎ どんなことが起こるの?
・理路整然と、魂の仕組みが基本として判るようになりますので、
自分の肉体と魂の結び付きが確実なものとなってきます。
・生きてゆくこと、についてもっと深く見つめなおすことができます。
つまり、難関があって当たり前の人生を、
現実の智慧をもって乗り越えようとするチカラが出てきます。
・熊野権現とのご縁は、世界中どこの聖地に行っても認識され、
すべてのご神仏が、あなたのその経験に基づく智慧を与えようとします。
(宗教が変わっても、同一神がとても多いためです)
・物事の真贋がわかるように、そっと誰かが教えてくれるようになります。
これってとても大切で、あなたにとって無駄な学びに、貴重な時間を
割かなくてよくなるということです。
・「タイミングじゃなかった」などの言葉で、大切なチャンスを逃したことを、
言い訳しなくて済むようになります。
あるいは、その言葉であきらめさせられないようになります。
・宗教的な統一や、思想や哲学的な囲い込みの外に出ることができます。
・自分の魂の供養が進んできたら、不必要な「誘惑」に飲まれることがなくなり、
安心の中で新興宗教、架空世界から脱出することができます。
・目に見えない、ご縁の方々との結びつきが、ものすごく堅固になります。
・その他いろいろと、低迷している現状があればそれを脱出できますし、
盛業し始めたビジネスを安定させてゆくことや、
小さなビジネスを拡大させてゆく必要性に恵まれてきます。
・今後は、本当に必要な「学び」や、必要な「縁」に囲まれて生きてゆくことができるようになります。
これは、気がつけば体感できていることであって、特別な解脱やアセンションと言われる意味不明のものではありません。。
◎ 起こることには、当たり前ですが個人差があります
・でもでも、これは参加者全員に起こること。
あなたが、あなたのご先祖さまや、ご縁故の魂たちを、
大切に思ってるんですよ、という意思表示が何よりも強力にできて、
その魂たちが、大喜びされて、身動き取れなかった魂が、動けるようになります。
それによって、あなたに起こることの個人差があるってことです。
◎ それを引率(先達)する巡禮記って?宗教?
巡禮記というのは、特別な宗教や宗旨には属していなくて、
ややこしい教義や何かに傾倒する姿勢も持っていませんので、
皆さんを目に見えないことで脅したり、何かを押し付けることもありません。
そして何らかの思想に統一させることがありません。
逆を言いますと、神道と仏教だけでなく、道教やカトリック、、ヒンドゥ、イスラムなど、
世界中のほとんどの宗教の教義に対応する柔軟性を持っていて、(新興宗教を除く)
皆さんがご先祖やご縁故の諸霊を伴って、
神様のご経験や、仏さまの智慧に近づき、喜びの多い人生にしようって発願し、
報告し、叶ってまた発願してゆくことを繰り返すお手伝いをさせていただいてます。
皆様が自由に楽しく参画できる「受け皿」のようなものだと思ってくださればいいと思います。
この骨組みになるのが「熊野ツアー」です。
どうぞ、これまでに受けてきた無駄な言葉の押し付けや操作から抜け出してゆくために、
まだ動きが取れるうちにご参加くださり、魂の洗濯から始めてゆきましょう。
巡禮記先達
須佐厳・松本育子
熊野ツアーのスケジュールはこちらをご参照ください
https://jyunreiki.com/?p=130