巡禮記は先祖や縁故の人の諸霊の供養を
とても大切な目的としていますが・・・・
なんでかといいますとですね、
超簡単に言ってしまいますが、
欲望に基づく祈願の進捗に、ものすごく大きな影響があるからです。

人はきっと、
自分が生まれるはるか昔の
自分のルーツを学ぶことによって、
大きく飛躍するもんだと思うんです。

●自分を真ん中に置いて、過去と未来の腕を持った
やじろべえみたいのを想像していただくといいです。

●自分の親、祖父母程度の腕(縁)しか視野にない人は、
片方も、子、孫くらいの長さしかない。
つまり、独り、自分の事で精いっぱいの生き方になる。

だから鬼の首を獲ったみたいに、世情の粗探しや社会批判ばかりしてる人や、
現実が直視できないくらい極端なスピリチュアル思想に傾倒したり、
新興宗教の勧誘に奔走しているおっちゃんやおばちゃんは、
普通の世間話すらできないくらい
すごく視野が狭くてバランスも悪いでしょ?
祖先のご供養の方法を塞がれてしまってるし、
思いを馳せることもできません。

 

●また古代や太古に傾倒しすぎても、
いつも、古代の日本人はぁ~~とは
太古ではぁ~~とかばかり言って先が見にくくなって
バランスが取れてませんよね。
それから、前世の記憶や経験を、活かすのではなくて、
傾倒しすぎることも、ぼちぼちやめときましょうよ。
(※前世を活かすというのは、誰かに言われた前世(のようなこと)に、良くも悪くも影響を受けないことです)

 

●一方、そこから過去に自分の魂のルーツを探してゆける人は、
その腕に過去の「智慧(ちえ)」の積み重ねを持つことになります。
その智慧を資産として未来の腕も無限に伸びてゆくはずです。

たとえば大きな企業や財閥の「創業者」と云われる人物の信仰の姿勢は
過去も未来もバランスが取れていて真摯なものですから、
智慧の中で両腕がどんどん伸びてくるんです。
バランスの取れた、大きなやじろべえのような人ですね。

須佐厳(田中)は、巡禮記でそんなご縁の端っこを案内したいと思ってます。
端っこ掴んで、皆さんがどうなさるのかは、
皆様の意にお任せします。

でも、前述の2タイプの生き方のどちらを選ぶかで
これからつかんでゆける「ご縁」そのものが違ってくるってことは
わかってくださったと思います。

オトコは優れた集中力と腕力、行動力で、
オンナは温かい子宮と、優れた勘と受容力で、
それぞれの腕を無限に伸ばしてゆけばいいんです。