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数千人の紫式部?!〜過去世の考察〜

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こんにちは!
巡禮記の松本育子です。

【数千人の紫式部?!
〜前世のとらえ方の考察〜です!

あなたの魂が幾たびも
輪廻転生を繰り返しているとして、

 

あなたは輪廻をしながら
また一人のあなたへ、おなじ個性として
肉体のみを新たに転生しているのでしょうか。

 

わたしは、巡禮記の凡夫先達をしていて
人の生き死にのドラマに
たくさん触れさせていただく機会があり、
過去世についてはある考え方が好きになりました。

そんな私の個人的な感覚の一考です。

 

人は死んで、
また赤ちゃんとなって生まれくるまでに、

さまざまな人の人生の記憶をミックスした、
一つの大きないのちである全体に

還って、
そこに溶けて、

その記憶の混ぜ合わさったところからまた
ひとしずくの魂となり、
生まれてくる肉体と結ばれるものだ

と考えます。

 

あなたの今世の魂は、
様々な個としての記憶がいくつも入って溶けた
オリジナルなスペシャルプレミアム
集合体、ブランドだということ。

 

ときにはひとつの塊のなかに
ある特定の共通要素をもった
無数の記憶のチームが

ブランドされてる場合も
あるでしょう。

 

さまざまな人生の記憶と個性が
散りばめられて溶けているなかから
新たな今世のあなたという
ひとしずくのブレンドを生きている
という感覚です。

 

たとえば前世は紫式部だったという記憶の
かけらを魂に含む人は
あらゆる時代に散らばって何百人何千人と
いるのかも知れない、と思うんです。

そしてその紫式部だって、
記憶のかけらのブレンド。。。
記憶の集まりでできています。

 

一人の人としての
個だけの記憶を何度も引き継ぐものだとして
もしそこに囚われてしまったならば、

その過去世の時の人格を作っていた

肉体の五感、
他もろもろの内臓感覚を、

まるでセーターの糸を
解くように芋づる式に引き出してしまい、

情報過多で
とてもじゃないけど今世の肉体と心と頭の
使い方が、活かしきれなくなってしまう。

自分の今を生きることって
ものすごく可能性に溢れているから、

今世だから使える可能性とか
今世だから引き出せる力なんかも
たくさんあるのに、
もったいないことになってしまいます。

ある人の魂は、
紫式部だった記憶があり、同時に
かつて、十字軍の下っぱだったひとの記憶の
かけらも含み、

同時に応仁の乱で戦った武将でもあり、
さらに同時に
名も無き乞食でもあって、

世界のどこかの名のあるシャーマンでもあって
極悪な殺人犯でもあって、
どこか遠く未来の音楽家でもあって

そして、同時に
わかりやすく遺跡で残されているような
ところの村人でもあるかも知れません。

そのどのカケラも

ホール(全体の人格)ではなく
一欠片の記憶たちのあつまり。

どんなけブランドすんねん(笑)と
言われそうですが。

昔よくおじいちゃんに諭された、
「一粒のお米には88人の神様が宿ってる」
とかも、そんな感覚なのかもしれません。

「過去世を観る」というのも
全ての記憶のミックスのなかで
どこのカケラを垣間見ることがあっても
不思議ではないんです。

だからみる人によって違うのも頷けます。

 

そして、
ある人や場を懐かしく感じたりするのは
時間的に今より過去の
生きた記憶によるものだけでなく
時間的に今より後の
未来の生きた記憶によるものだってあります。

タイムライン的には同時に発生していきます。

前後という概念があるのは脳内の
今、この肉体を纏う人としての解釈なので、

過去世が必ずしも、
今の時代よりも以前とは限らない。

原因と結果の法則を
当てはめたい気持ちもわかるけど、
それは必ず今より昔の時代ではない、という
可能性もたくさんあります。

むしろ
時間軸では未来にあたる人生での
先の未来が原因で結果が今、だって
とてもリアルだと思います。

 

たとえば、2080年くらいに

エネルギー戦争で
草一本生えない地球のタイムライン
を体験した記憶が”前世”かもしれず、

2150年くらいのタイムラインで
宇宙ステージで異星人バンドを組んで
太陽系中の魂たちが歓喜に震える波動を生む
体験が、”前世”の記憶かも知れません。

その未来のバンド仲間は過去に一度も地球で
出会ってなくても、
今の友達かもしれないんです。

そこが懐かしくさせて、
今の選択と行動の原因と
なっていることだって多いにあります。

これからの時代に、

原因と結果を
あまりにも前後と結びつける考えは
自分を縛らないようにして
うまく使いたいものです。

私の過去世こうだったから、今がこう!
と一つの個性を決めつけるような考え方は、

グラウンディングとはまた違い、
何かにつけて理由を必要とする自我を固定
し続けてしまいそうな感覚だから。
認知の方向が偏ってしまう気がします。

 

前、過去世というワードは、
「既にわかっていること」と
その記憶のかけらを結び付けて
脳がストーリーを作りやすく、
ロマンやドラマを感じます。

たしかに
経験則からの学びもとても大切。

そして
過去世の記憶はわたしにも少しあるし、
いろんな人にもあり、
胎内記憶前の記憶も、もう
珍しくなくいろんな子どもたちが話しています。

だからそれを否定するつもりはなくて、
それがいくつかある魂のかけらの記憶で
個性の一側面だということ。

 

こうこうこうだったからこうします。
という理由に前世や過去世を
持ち出さなくても、

理由なく「今」こう感じてこうしたい!

といえる現世の自分のパワフルさを
大切に扱うことのほうに力を注ぐと、

素直に、これからの未知なるものとの
接触がしやすくなると実感しています。

 

熊野先達のワークショップでは、
魂の粒に見立てた丸い紙をくばり
そこに自分の特徴とか好きなところや
嫌いなところなんかを書いてもらいます。

集めて、シャッフルしてまた同じ枚数を
自分でとってもらう。ご先祖カードも
氏神産土さまカードも追加して。

そして、非常にざっくりだけども
これが輪廻再生した今日のあなたとしたら
どうしますか?
という説明をします。

みんなで
どう感じるかも聴いてみたり。

ほとんどの方は
前の自分の(つまり今の要素)が
愛おしくなられます。

 

 

たくさんの粒という記憶が合わさり
魂たちは常に代謝して肉体をまた得て
その自分という
「今」のチームの魂を生きている。

新陳代謝する肉体が運んでくる
新鮮な五感を情報源として、
今日も新鮮な体験がクリエイトされていきます。

それこそが大慈大悲なんじゃないかな、と
思うほど、チャレンジブルで、可能性に
溢れている奇跡の仕組みに思えてきます^ ^

その奇跡のなかに、この魂の衝動や欲求や
こうしたい!がいっぱい詰まっていて、

理由なく今の自分からただ
発動されるのを待っているんですね!

 

昨日と同じ繰り返しに思えても
どうか、新鮮な今、
今日出会うことに、開いてゆきましょう。

今日新しく触れること、今日の夕飯は五感を
今の肉体と心と魂でノーフィルターで
感じることに、行動に、
いのち開いていましょう。

数千人の紫式部のかけらたち、
「来世瑠璃色」は、いまここに。

巡禮記 松本育子

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