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死神

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巡禮記で聖地のご案内をしている田中一人は、

ジュエリーデザイナー&商売人という今生の本職に加えて、
先祖から受け継いだ 「先達(せんだつ)」 という仕事をしています。

表に見える部分では
意思ある人をつれて聖地を訪れ、
神様仏様の前で「嘘をつかせない」という
ちょっと異質な仕事をしています。

これはね、
俺が死神(しにがみ)族であるからできる仕事。
というか、巡礼に際しては、この仕事しかできないのかもしれません。

 

お話し会や先達の時は、とにかく人を笑わせることばかりを考えて
喝さいを浴びている?のですが、

いえいえ、死神なんです。

さて、死神っていうと
黒衣をまとい、鋭くとがった大きな鎌を持つ姿で象徴され、
生きている者を死に導くのが仕事のような雰囲気ですが、

実は、魂を、
行くべき場所に案内する仕事をしているんです。
つまり、俺の師匠がそうであったように、

そのまた遠くの師匠である 平清盛さまがそうであったように、

そのまたまた師匠である 弘法大師空海さまがそうであったように、
黄泉の国の門番なんです。

例えば伊勢や出雲は、生きとし生ける者たちに陽の光を当てて、
その「生」を謳歌させようとする神々が坐っているところ。

片や、巡禮記先達のホームグランドである熊野は、黄泉の国の入り口。
あらゆる人の魂を、迷うことなく、極楽浄土に導いて、
輪廻転生の順番に入るように説得するところ。

巡禮記先達はこちらのほうを 僧職 にも神官 にも陰陽師 にもならず、

「凡夫」のままでお手伝いさせていただいています。

 

だからね、陽の当たってるところでは許される嘘や
いま皆さんが影響を受けている、
「あなたのことではない虚像」なんかに
浸り続けている魂をみていると、
ものすごく矛盾を感じるような脳力を持っています。

だって、そうなれない 虚像に浸った そのままじゃ、
執着になって、とてもじゃないですが、
肉体が亡くなった時に
黄泉の国の入り口に入ることができないから。

 

「凡夫」として勤めさせていただいているのは、
それをボケずに判断できるように

「この世目線」で判断して動けるからです。

さて、俺が死神であることは
いろんなところで暴露させていただいてますが、
カウンセリングでも申し上げるように、

陽の当たる国と黄泉の国は
どちらが、始まりでも終わりでもありません。
どちらも始まりであって終わりでもあります。

少なくとも人は独りで生きてるわけではなくて
ずいぶん昔の家系の誰かさんを背負って
あるいは助けられて、神仏を信仰しながら、

陽を浴びながら生活していますから、

陽の当たる国の魂と 黄泉の国の魂とが、

神々様やほとけ様と向き合って、重なり合って、
しかも同じ三次元で生きていることになります。
しれーっとね。

それらを別次元に置くことはとても簡単なんですが、

そうするとせっかくのご縁を 「別次元のカンケーないこと」や
「それこそ到達不可能な次元」にしてしまい、

都合のよい時だけ「つながってるねー」と言ってる オメデタイヒトを作ってしまう。

思い込みが強い人ほど、大切なご縁を テキトーに絶ってしまうから、

次元の数字を 変えないようにすることが 大切ですよ~。

 

生も死も、ご神仏の世界も、実は肉薄しており、
同じ三次元ですべての現象があると思っています。
ですから、結構キツいことを言ってしまうのですよ。

陽の当たるところでは許される嘘も
黄泉の国ではその入り口ですら通用しない。
しかもみな、黄泉の国に行く準備をしている魂を背負っている。

さらに、そのあなたも やがて黄泉の国へ行く!

だからあなた自身を取り戻して、
陽の当たる国にいるうちに、思いっきり 幸せになってほしい!

思い残すことなくね。

てなわけで、
惑わされるな!
ごまかすな!
うそをつくな!って

結構必死でやってるんですよ。

死神ですから、ごめんしてね~

 

ちなみに

俺たち先達は、人に自分のことを「祈ること」を教えることはできても

身内以外の「人のために祈る」ことはできません。

皆さんのために祈ってます!って公けに言ってる人って、
嘘つきが多いですから。

田中一人

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