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新興宗教 と 無神論者 と 巡禮記

投稿日:2017年3月29日 更新日:

まず、新興宗教の定義ね。

昔から連面と続いているものを否定、誹謗して、
最近できた得体のしれないものや思想「だけ」が正しく、
唯一の救い主といとして、
その「ご神体」や「人」を信仰させるのが新興宗教。

教祖や宗祖などの中心人物や側近と、
勧誘活動をする信者とで構成され、
信仰態度の度合いで階級をつけられることが多いですね。
お墓参りを許さないところもある。

人の「傾倒する」という習性を利用して、
信仰の自由、家系や、代々の信教を絶たせて、
教義を畳み込んで信じさせる。
仏教、キリスト教をベースにしたとても大きな団体から、
ヒーリングを窓口にした小規模な集まりまで多種あって、
SNSが発達した今は、これが大多数を占めてますね。

上記以外は新興宗教ではありません。
宗教団体か、思想団体である場合が多いです。

でも、巡禮記は、どれも否定はしません。
信者さんは生活のすべてを奪われても、
そこで生きてゆくための祈りができるから
それでいいんです。善悪はないんです。
信者さんにとっては救いなんです。

でも、信仰教団のセールスレディーに一度目をつけられ、入信の意思がないのに、勧誘され続けると、
人は「ふつうの信仰」ができないくらいダメージを受けます。
「もう宗教なんてごめんだ!」って、無神論者になる。
そんな無神論者を創ってしまうのが
本当の意味で、取り返しのつかないくらいの新興教団の功罪だと思います。
物事には善悪はありませんが、ご神仏との縁を絶たせて
根無し草の人間を作るこの行為は、きっぱりと「悪」であると断言できます。

巡禮記が先達して、皆さんと一緒に聖地を巡っていますと
その現場やブログなどの活動記録を見て、
全く意味も無く「新興宗教」と言われることがあります。

その時に何か言って返すかといいますと、
何も言いません。

それは、その人がどこかの教団に何らかのダメージを受けた無神論者か、
新興宗教の信者か退転者であるか、
単にこちらが活動的だということを妬んでいるだけなのが わかるから、
新興宗教の信者にまことの仏の事を説明しても、
理解しようとさえしないのと同じくらい、何を説明しても無駄なんですよ。

巡禮記の先達は「凡夫先達」です。
僧侶や神官の「修行先達」ではなくて、
大昔から続いてる、人類の「祈り」という伝統を、
誤解なく「凡夫である」皆さんにお伝えしながら、
グローバルに信仰する側の人間として、
世界中の聖地をご案内する仕事をしています。

先生!と呼ばれることもなく
「おっちゃん」 と呼ばれ、
説明が悪かったら罵声を浴びせられています。
そんな、ちょっとしたアイドルです。

ですから巡禮記は、宗教団体でも法人でもありませんのと、
いずれの団体とも無関係です。

え?
これを書いて何が言いたいのかって?

そうね、
宗教と信仰、そして宗教と新興宗教の区別がついたら
信仰がとても楽になるってことです。
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※ 例えばね、みんな新興宗教だと思ってるけど、
天理教は、他宗を批判することもなく、もう歴史が古く、日本に広く根付いていて、
その教義でご成仏に上がっておられる魂がたくさんありますので、
もはや新興宗教ではありません。


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