幾重にも重なった魂の記憶。それを アカシックレコードと云うそうです。
過去世のメモリーであるそれを読み解けば
自分の立っている座標軸が判り、
将来の道や ある程度の天命が解ると云います。
確かに過去世を辿る旅には、
同じ失敗をしないことや、分かれ道の選択基準の見直しなど、
より善き道を生きてゆくための知恵のメモリーであるから
それなりの意味があります。
しかし 家系を重んじ、先祖供養に信仰の原点を置く日本の場合は、
自己のメモリーだけでなく 先祖が辿ってきた記憶もそれに重なってきます。
徳を積んできた家系であれば、子孫に平穏が持たさされるし、
何をやっても上手く行くでしょう。
でも先祖が憂い(うれい)事を重ねておれば、
どんなに大人しくしていても、業(ごう)の深き暮らしとなってしまいます。
それら全てを読み取る事、わからなければ探る事。
知る事、知ろうとして想いをめぐらせる事。
無視せぬ事、判っているフリをせぬ事
それら全てが、自分の魂の記憶にも肉体をつないでくれたご先祖にも
供養になってゆく行動であると言えます。
宗教に属することではなくて、この行動のことを「信仰」といいます。
自己のアカシックレコードを読み解くだけでは、
どうにも成らなかった。上手く行かないようになった。
そんなときに 思い出してくだされば幸いです。
カコセを読んでもらっただけでは、あなたの時が止まってしまいますから。