巡禮記のお詣り遠足のあとで
参加者さんから(だいたい翌日に)
いただく質問のなかに
ときどき、次のようなものがあります。
ほぼ似た内容のご質問が複数あるので
返答しているやりとりを編集して
この機会にブログにさせていただきますね。
参加者さん:(Sさんとします)
お詣り遠足ではありがとうございました。
昨日の願いは嘘だったんだと気がつきました。
ほんとは〇〇したい。〇〇はもういやだ。
〇〇したくない。
それが本当の願いでした。
昨日願ったのは綺麗事だったと思います。
ウソの願いをしたと気づいた場合
(同じ神社仏閣に)
早めにお詣りし直した方がいいですか。
またお詣りし直しに行った方がいいですか?
巡禮記 :
先日はご参加ありがとうございました(^-^)
巡禮記のお詣りに参加してもらうと
その方の本音、本質がどんどんと現れてきます。
Sさんの先日の祈りは決して嘘ではなく
そのとき表面に現れた願いであり、
それを神仏に手を合わせてその前で
赤裸々に素直に言えたからこそ
その下の本音の気持ちが出てきてくれました。
「嘘だったと気がついた」それも
神仏に自分で祈って初めて
起こってきた”動き”なので、
もうSさんと神仏のリレーションが
始まっているんです(^-^)
だから、すぐに祈り直さなくても大丈夫。
ほんとは〇〇したい。
〇〇はもういやだ。
〇〇したくない。。。
(※〇〇は人によって違います)
それがどんな酷くてゲスくて情けなくなるような内容だとしても、大丈夫。
祈った反動で〇〇したくない、いやだ、
本当はこうしたい!
が出てきたときはまだ
本当の”願い”ではありません。
祈って生まれてきた”気づき、動き”です。
お参り遠足の後、みなさんにいつも、
「お参り後は動きが必ず出てきますから臆せずに自分の方へ引っ張り込んでみてください。
ハズレくじもあるし、当たりくじもあるけれど、見極めるトライも含めて、そのどれもが神仏からの最短コースでプレゼントになるものばかりです。」
とお伝えしています。
その通りのコトが起きてきただけです。
そこからはその自分の気づき、
自分の本音の声に応えてあげる行動です。
しんどいんだよね。
何もかもいやなんだよね!
もうそれ、つかれるよね。したくないよね!
ほんとはこうしたいよね。
嫌だね!いやだー!
〇〇なんて、やめたる!大嫌いだね!
って、まず自分のその本音に寄り添って
共感してあげてくださいね。
そして、例えば一人になりたい!のなら
一人になれる時間を無理くり作りましょう。
たとえ1分でも一人になれる時と空間を
自分にひたすら用意してあげましょう。
そこは、努力してもいいところ。
ほんとは〇〇したい。
〇〇はもういやだ。
〇〇したくない。。。
まずはこの本音にこたえるまで、
共感→行動してみましょう。
神仏に願いをし直しにいくのは、それから。
欲から願いに、願いから祈りにしてゆくのは
具体的なこの共感(承認)→行動の繰り返しで
心と身体を同じ方向に揃えていく動きなんです。
それをわからんなりにやってみた後は
また違うSさんの欲、願いになっている
はずだから、それから祈り直しに参拝、
でいいんですよ(^-^)
人の暮らしからの赤裸々な欲、願い、には
きれいごとなんて一つもないと思います。
毎日の毎時間の人としての時間は、
なに一つ綺麗事じゃなくていい。
だから、どんな日の願いも、綺麗に聞こえるそれも、嘘だと感じたそれも、そんな人間臭いのをぜーんぶ踏まえた祈りだから、大丈夫なんです。
神社仏閣に参拝して願い祈る言葉で
未来将来が決まるのではありません。
その時の精一杯素直な自分自身を開いて
さらけ出すところから、
否定からの反動ではないところから、
魂の本質が生きたい方向へ
動き出そうとするだけです。
見えない応援団が一緒に動き出すだけです。
神仏という人知を超えたエネルギーも
ご先祖様も、周りの人たちも、
祈ってからのあなたの動きの祈り、つまり
気がついてはやってみること、なくしては
背中を押せないのですから(^-^)
落ち着いてきたら、
ぜひ、ご先祖さまを味方につけていく方法も
ご自身でできるので、されるといいですね!
また巡禮記遠足にきてもらえたら、
その都度お伝えもして行きますので、
気軽にいらしてくださいませ。
Sさんが、
生きたいように生きてゆけますよう、
楽しみ味わい深く日々を過ごしてゆかれますよう
先達一同お祈りしています。
ありがとうございます(^-^)
記:松本育子