とおりゃんせとおりゃんせ ここはどこの細道じゃ?
天神様の細道じゃ
ちっと通してくだしゃんせ
御用のない者とおしゃせぬ
この子の七回忌(ななつの)供養(おいわい)に
お札を納めに参ります
いきは近い(よいよい)
帰りは遠(こわ)い
遠(こわ)いながらもとおりゃんせ
とおりゃんせ
って、昔々から作者不明の歌が
語り継がれている理由も解って
聖地めぐりをしようね。
● たとえばヘイタテジングウに
何をしに行くの?
神官になるお願いに行くの??
え~?!
大好きなあの人と結ばれて幸せに暮らしたいって願い?
あいにくだけど、そのための祓い清めのご経験は
お持ちではありませんよ。
神官になるために娑婆を捨てる祓いなら聞き届けられるけど。
● たとえばタマオキジンジャに
何を願いに行くの?
大峰の修行僧になるの?
え~?!
たくさんの人に可愛がっていただく商売繁盛を叶えたい?
そうか~ でもね、あいにくだけど、
そのご経験はお持ちではないですよ。
そこで行者になるって願いは聞き届けられるけれど。
● たとえばカミシキミクマノニマスジンジャに
何をしに行くの?
風葬の痕跡を見学に行くの?
これまた、えぇ~?!で
あなたのご先祖の供養がしたいって?
なるほど、でもね、あなたのご先祖は
そこから補陀落浄土には行けませんよ。
風葬のしきたりを学んで死神になる決意は聞き届けられるけど。
▶ たとえば上の三社。
「経営」を志す方、しかも世を動かすくらいの規模の願いや
もともとの素質や、ご先祖様たちの期待を持つ方は
俺たちは先達させていただいてます。
「経営」というのは、神様と、仏さまと、チームを成して、
幾久しく誕生と、弔いをやってゆくことですから。
でも、普通に幸せに満ち足りて暮らしたいと願っている方は
連れてゆきません。
カミサマとご縁のあるとかないとかの、スピっぽい話ではなくて、
そこに居られる神様や仏様の構えを拝見して、
どのような祈願をすればよいか?!
それに従っているだけです。
だから、パワースポット然となり果ててるところ、
特別な者だけがたどり着けると宣伝されたところへは
誰もつれてゆけませんねぇ~
先達って、そんな仕事なんです。
そうだね、熊野にわんさか先達はするけど、
タマオキジンジャには特別な祈願を持って、
現地のお守をしている人たちとも協力して臨みます。
だって、熊野詣が終わったら、みなさんとご先祖様とを
娑婆にしっかりと帰さなくてはなりませんから。
おれたち先達は、死神ですから。
通りゃんせって 歌、
大切にしたい。