あるとき、顔も出さない人に、
神仏のことをやっていて、対価をもらうのは穢れまくっている。
悪魔の所業だ、新興宗教だ、天誅が下る!と、
醜いコトバで批判を受けたことがあります。
何とかチャンネルに、須佐厳(田中)名指しで投書されました。
実は巡禮記は、
伏見先達やツアーの時も、
けっこう長い間、お金をいただいていない時代があって、
それを有料化したときに、その言葉をぶつけられて、
超悩んだことがあったんです。
もちろん自分自身の呵責もありました。
その時にその悩みを聴いていただいた方がいます。
弘法大師空海さまです。
即答いただきました(ずいぶん現代語にしてます)
え?ご神仏のことをなりわいにして
お金もらうって、当たり前じゃないの??
俺なんて、食べ物も寝る場所も もらってるよ。
上皇様や帝からは、最澄さんのぶんも いっしょに
留学費用を出してもらって、中国行って、
おみやげ持って帰ってきたら、
最澄さんは延暦寺、俺は東寺ってお寺をもらったよ。
それで、弟子もできたし、大工さんや、仏師たちもたくさん育った。
高野山も使って、お寺建てていいよって。
弟子と一緒にいろんなとこ行って、
井戸の場所や、生活が便利になるように、
住民のみなさんに、いろんなことを教えてあげたら、
毎年 お米や野菜が届くようになったよ。
1300年後の弟子たちにも、
俺の名前を使ってお金もらっていいよって言ってあるし、
お世話になった四国の88のお寺がつぶれないように、
スタンプラリーも企画したよ。
そうそう、
旅行中にいじわるされて ちょっと拗ねた時に、
サバをもらったこともあったね。
あのサバは旨かったね~
だから語り草になって、サバ持ってる 俺の像もあるね。
お金をもらうことが穢れだって言った奴は、
拗ねたときに、誰からも、何も、もらえなかったんだろうね。
生き様が拗ねてるからだね。
すさげんさん!気にしな~い!ろけんろーーー!
と、一気に解決しましたとさ。
(須佐厳は田中一人の法名です)