【クリスマスの祈り】
クリスマス、普段キリスト教に
馴染みがなくても、日本では
盛り上がる風物詩のようにあるが
神社仏閣へ日々お詣りされている方においても、
人の信仰や祈りというものを
自分の身体と心で感じてみる
いい機会になるように思う。
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森羅万象に八百万の神々を観て
仏の智慧悟りに合掌する祈りとは違って
キリスト教では主なる神がいて
輪廻転生や先祖供養もなく
ひとの生き死にも神様の思し召すままに。
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だからこそ、人は祈り、歌う。
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ひとが生まれても愛の歌、賛美歌で祝福し、
そして亡くなっても
主のいる天国へ召されたことを想い、
愛の歌で送り出す。
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大切な、大切なひとが、
神に召されることはものすごく
悲しいけれど、
愛されて生きて
愛されて召される、そのことをただ
すべて主である神様に委ねる
全肯定の祈りの歌なのだろう。
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昔習っていたゴスペルの先生は
クリスチャンのアメリカ人で、
五歳のときに死に別れたお父さんと
いつかきっと天国で会える、そう
信じて賛美歌を歌い続けてるんだ、と
語っていた。
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クリスマスはイエスキリストの
生誕を祝い、
主の愛を伝え続けてくれたことによる
救いと恩恵を
一人一人が感じて祈る日だそうだ。
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教会にはクリスチャンでなくても
クリスマスイブのミサに来る人を
受け入れてくれるところも多い。
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もしチャンスがあるなら
宗教観が違っても、ぜひ
クリスマスイブの礼拝、ミサへ
一度足を運んでみてはどうだろうか。
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祈り、信仰は
本来、宗教観による垣根などなく、
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この地球でひとが喜んで生きるために、
生きて苦しみを生み出してしまうからこそ
一緒に温かく嬉しく生きるために、
一人一人の開かれたハートから
湧き出してくるもの。
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例えばミサの賛美歌の優しさに
触れて、愛を歌う音に体が震えたり、
違う宗教観の人も、みんな
幸せに生きたい想いは同じだと
人の集まる温かさを感じたり。
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私はクリスチャンではないので
誤解を恐れつつ、覚悟の上で
キリスト教の細かいことや
発展したその教えなどは
無知を失礼して割愛するが、
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気持ちのいい信仰の根っこにあるもの
愛や大慈大悲、霊験、ご加護
いろんな言い方があるけれど
どれも、大元は同じ『嬉しい光』だと
感じている。
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それは見上げた真っ暗な夜空に
懐かしく輝く星の光と同じ。
大好きな人の瞳の奥の光と同じ。
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生まれて初めてその身に浴びた
日の光と同じ、ただ愛されて
生きていることで受け取れる光だ。
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そんな大元の光を、
ときには別の視点から
感じてみませんか。
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あなたの、かけがえのない
生きた五感で。
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巡禮記 松本育子