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質問シリーズ!【お参りするときにろうそくをお供えするのはなぜ?】

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【巡禮記先達に質問です🎶シリーズ】
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巡禮記の参加者さんから
ご質問をいただきましたので
お答えしていくシリーズです。
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最初のご質問は、
《お地蔵様や神仏にろうそくをお供えするのはなぜ?》
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● 「燈明」について
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お寺や神仏習合が残る神社で
お詣りするとき、ろうそくに火を灯して
お供えする火を燈明といいます。
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お供えの火については宗教宗派によって
作法など様々ですが、
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ここでは巡禮記として
神仏習合の信仰そのものを大事にする
スタイルでお返事してゆきます。
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その火の明かりは、ご神仏の智慧を表していて
神仏の智慧(光明)をもって不浄を祓い、
人の祈りをそのものを照らし、
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悩み苦しみといった周りが全然見えなくて
真っ暗に感じる無明な状態に光を届けて
導いてくださるようにと捧げるものです。
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火は古来より
人を生かし進化させ育てるものであり
殺し灰と消し去るものでもあり、
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水とともに、畏怖の念をこめた
神仏の具現化した事象として
信仰の柱となってきました。
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ですので、
見える世界と見えない世界を
つなぐ役目として
祈るものと祈り届く先を結び、
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神仏やご先祖からしっかりと
祈る心と姿を見て智慧をいただけるように、
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また、言葉にならぬ祈りの心が
届くようにとという意味も込めて
ろうそくを灯し供えます。
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ところで、お供えではなく
仏教の教えによる燈明では、

「自灯明」と「法灯明(ほうとうみょう)」という二つの燈明があって、ざっくり書くと

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自灯明は、自らを灯火として自分を頼りに生きていきなさいという教えで、

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法灯明はこの世の真理であること(本当に正しいこと、見極めること)を頼りにしなさい、というお釈迦さまの教えだそうです。

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※自灯明と法灯明については、調べると見解もたくさん出てきますし自分でピンとくる仏教の書をお調べくださいね。

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わたしは、この自灯明と法灯明のセットを
お参りで献灯するときにいつも、ふと
自分なりの解釈で思い出しています。
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どんなに素晴らしい真理に出会っても
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自分という明かりが消えていたら
いつまでも迷って周囲に流されてしまうし、
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どんなに世離れした所で
自分を研ぎ澄ませても
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多かれ少なかれ人は
人の関わりから生じるものごとに
幸せや喜びや人生の明かりを
見出すことから逃げられないのだと、
感じます。
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自(自覚した可能性の塊)と
法(そうあること)は、
種と太陽のように、
花咲くセットとして用意されていて、
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二つの灯明の意味を重ねて祈るのは
とても心地いいなぁと思うのです。
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ある人はそのろうそくの火の輝きに
自分の命のすがたを重ねるでしょう。
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ある人は真っ暗闇の中で、繰り返した
過ちを照らす救いの灯を観るでしょう。
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ある人は亡き人たちの安寧と護りを観て、
またある人はこれから繋ぐ命への導きを願い、
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ある人はその揺らめきに
人生の迷いと答えを
委ねるのかもしれません。
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火は、そんな風に人の信仰を支えてきたし、
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ときに、呪詛や念の依り代にもなれば、
またそれを煙と祓うものにもなります。
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たくさんの火が灯ることで
厳かな尊い気持ちになるのは、
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観るひとの心の奥深い神聖なところにまで
たった一つのまっすぐな光が届くからだと
思います。
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それは、
ひと、と、ひとを分けているものさえ、
意味を持たないほどの
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一つの大きないのちを
みんなで生きているという、
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光明から届く灯のひかりが
魂ごと包むからだ、と感じるのです。
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人の歴史は火の恩恵と畏れと共に生きて、
その連続した先の、
よき智慧の恵みのもとに
今日の暮らしがあるので、
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小さなろうそくの火ごとに
どんな祈りを重ねてゆくかが
きっとそれぞれの
自燈明になってゆくのだと思います。
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みなさまのお参りの燈明も
今を生きる一歩ずつを照らす
うれしい光でありますように。
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巡禮記  松本育子
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