私には特殊な能力なんてなくて、
神様の姿も見えないし
仏さまの声も聞こえない。
と、
嘆く方がたくさんいます。
巡禮記の先達は、
見ようとしてないだけですよ
聴こうとしてないだけですよ
姿も声も、神仏直接ではなくて、
「人をして」「物をして」
知らせていただけるチャンスがありますよ。
と言ってるはずです。
お寺や神社で、直接聞こえたように感じるのも
見えたように感じるのも
そりゃあ嬉しいでしょうが
99.9%が神仏の声ではなくて、なりすました偽物ですよ。
ましてや将来どうなるなんて、具体的な予言のようなものが聞こえたら
それはそれは完璧にイカレたのに取り憑つかれてますよね。
つまり、聴こえたり、見えたりしない方がいいんです。
とも申し上げていますよね?
ご神仏の、途方もないご修行を鑑みるとき、
この人間の短絡さにびっくりすることが多いのですが、
そりゃあ、聞こえる、見えるという者にあざむかれて
難しい所作や難解な教義を辿ることを示唆されたり
あるいは修行を強要されたりすることもあって
幸せを迂回することになるのは当たりまえだなあと思います。
今のあなたの現実を、見ようとしてないのではないですか?
今のあなたに寄せられる声を、聴こうとしていないのではないですか?
ご神仏というのは
その部分を無視しないで、その時点をリアルな起点として、
手を合わせ、時間をかけて自己表現してくる人々に、
人をして、物をして
おびただしい量のメッセージを寄せてこられますから、
嫌なことから順番に(ここがポイント)、無視しないで、
見逃さないように
聞き逃さないように
手を合わせて用意しておきましょうね~。
え?
また嫌なこと言ってるって?
だって、ほんとのことですもん。