巡禮記は皆さんを遠足やツアーにお誘いする時、あまり具体的な先達目的を書かないようにしています。
それはなんでかと言いますと、ご参加される方々の祈りを集合目的に絞らずに、効能効果のようなものを匂わせないように、自由闊達にするためなんです。
それが功を奏してか、巡禮記の江島神社の参拝はもう7年以上続いているロングランとなっています。

しかし、この度の新年(2022年)の初参りをお誘いするのは、ちょっといつもと違いました。
集合意識ではないですが、その理由をちょっとお知らせしたほうがいいかなと思って、忘備録として記事にしておきます。

●動の時代に移ってゆくとき、あなたは

この度のコロナ禍、この前後で時代は名前こそ勿れ、世界大戦が間に挟まったくらい、世の中は大きく変化しようとしています。
まず人の流れ、働き方、食べ方、飲み方、移動の仕方、そんなものが世界的な制約のおかげ?で大きく変化しました。
この記事を書いている2022年7月現在でも、まだ観光や仕入れでの海外渡航ができません。
こんなことは1970年代以降ありえなかったことですが、その代わり、流通が苦しみながら大いに発達したり、出かけないでも何でも手に入る世の中になりましたよね。

ですから、このコロナ禍が終息に向かい始める2022年は、人の流れがコロナ前の自由を得た時点で、大きく変わります。
どう変わるか?それを書き出すと予言になりますのでやめときますが、とにかく大きくこれまでとは違うんです。
そして、この変化は善でも悪でもありません。善悪を付けた瞬間から、悪い方向にしかあなたの人生は流れなくなります。

それで、なんで?江島弁財天かってことですよね?

●江島弁財天は、時代の節目をつかさどった聖地

江島弁財天って時代の節目、それもとても大きなことです。鎌倉に幕府ができて政治の中心が京都から鎌倉に移ったことでしょうね。
時代考証としては平安時代から鎌倉時代への変化ですのと、政権が平家から源氏に変わるという、日本で最も大きな政変です。
この時代の変化を平らかに受け止めるためにおかれたのが江島弁財天なんです。

●江島弁財天は誰の要請で、誰が作った聖地なのか

新しい都の守護のために、弁才天を宮島から勧請してほしいと頼んだのは源氏の総大将、源頼朝と北条政子でした。
女性が笑って幸せに暮らせない世の中に平和はないと、弁才天という女性の悟りを持った仏さまに智慧を借りようと、その聖地を鎌倉に移したいと考えたわけです。
その弁財天の信仰を日本全土に広めるきっかけを作ったのは、現在の厳島神社(元は寺院)を建立した平家の総大将、平清盛です。
そこで、その大役を「文覚(もんがく)上人」という僧侶に依頼しましたら、快く引き受けて、あれよあれよという間に、江の島に弁財天信仰の修験道場を作ってしまいました。

それというのも、この文覚という僧は、平清盛、源頼朝の双方に面識があり一目置かれていた存在です。巷では酒癖、女癖がはなはだしい不良僧と伝えられていますが、きっと誰かの嫉妬により、豪傑ぶりが悪く噂になって広まったものと思われます。現在でも那智の滝で滝行を続けている怪僧でありまして、巡禮記でもたくさんの方の祓いを叶えていただいている大切な方です。

そんなこんなで、文覚上人の開山した江島神社を修行の地として学んだ僧侶が多数輩出され、全国に弁財天信仰を説いて回るようになりました。末寺として鎌倉には現在の銭洗弁財天宇賀福神社(元は寺院)を置き、都の平安にと、鶴岡八幡宮の八幡大神ともタイアップして、都の運営を底支えしてきて、現在に至ります。

北条政子が自分の念持仏を弁財天として、没後も鶴岡八幡宮の入り口で信仰の社を護っているのは、弁才天の守護がいかに優れていたかということが判りますね。

●現在の江島神社は

えのしまは今は江島神社という神社になっていますが、元は神仏習合の聖地で多くの修験僧を抱えた寺院でした。
橋を渡った島の入り口から、江島神社の竜宮門までの参道脇に、土産物屋やホテルがありますが、それらはもともとその寺院の「坊」で、明治の廃仏毀釈で荒廃した後を改造して、商店や宿にしたものです。
文覚上人が開山した修行の地は現在は観光地になり、坊はホテルや土産物屋になっていますが、そのホテルのひとつの中に、文覚上人が一番最初に江の島で祀った弁財天像が保存されていたりするのは、廃仏毀釈運動で燃やされそうになったのを隠したためです。

また、江の島内には弁財天がそのご修行を進めるために必要なご神仏様がすべてそろっておいでです。巡禮記では、くまなくその方々にも会いにまいります。

●なんで今、江島弁財天に行くのか?

時代によってこのように紆余曲折在っても、現在も江島弁財天は「動乱変化」を安寧に底支えしていることには変わりありません。
この2014年以降たくさんの人と江島弁財天を訪れていますが、変化という時の避けがたい祈りを持っいる方を丁寧にご案内して、みなさん、よき結果を得ておられます(よね?)。

これは、上述の平清盛、源頼朝、北条政子の本願と文覚という怪僧の働きの智慧の端を頂戴したからにほかなりませんし、お連れした方々のそれに傾ける信仰がまっすぐ透き通っていたということだと思います。

●ナントカゲートは何のきっかけにもならないってもうわかったでしょ?

時代が変わるって、この変化の波を鑑みるに、スピな予言者のたわごとではなく、政治的スローガンでもないわけで、とにかく個人的にいろんなことが変わることだけは間違いないんです。
私は変わらない!と頑張っても周囲が変わるんですからしかたないですよ。

たとえば、パソコン使えなきゃ仕事ができなくなるって時代(1990年代)の変化の時もありましたよね。そんなひとりひとりの生き方の変化、そして受け入れ方の変化と似ていると思います。ついて行かなきゃ、動かなきゃ、学ばなきゃ置いてゆかれるだけのことです。

でもこの江島弁財天は、政的であろうが個人のたわごとであろうが、膨大な数の変化を見つめ、智慧として蓄えている聖地でありますから、ここで巡禮記として、世界平和を祈るとか、コロナが早くどっか行っちゃってくださいと祈りましょうとか、そのようなくくりは一切いたしません。

ここまで話して、はなはだ簡素なしめくくりで恐縮なのですが、つまり、あなたが、あなたの世(人生)の、他動的な動乱に直面している今、
あなたがおやりになりたいと思っていることに際して、押し寄せる変化の波に、自分がどのように遡って頭を出して、呼吸ができて、上陸できて、山を登れ、頂を目指せるか。そのための資質、学び、必要な物資は何で、どこから手に入れどう使うか。
そんな祈願を繰り返すことができる、あなただけが押し開けることができる弁天さんの扉を作っていただきたいと思います。
つまり弁財天勧請に入る扉です。

その扉を押し開ければ、今後は日本全国どこであっても、その信仰が継続して活きて、
女性には、人をして、ものをして、風景背景をして、速やかに穏やかに返事がありますし、必要ならば底支え、扶助があると思います。
男性には、馬に蹴られるくらいの衝撃を伴った返答があると思います。

2022年1月の江島神社詣ででは、先達はそれを前提として、「えのしま」という聖地を案内してまいりました。
また行こうねー

巡禮記先達