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先達という係

投稿日:2022年1月24日 更新日:

 

神様や仏さまって、人と同じように、
自分の坐っている世が善き世になるようにと、大昔からご修行をされていまして、
それぞれの得意分野をお含みになって、祈願に訪れる人たちの話を聴き、
余計な思考の祓い清めをなさったり、縁を切ったり、
そして、その人の祈願に必要な縁を結ぼうと動きを作っておられます。

今更ではないのですが、神様仏さまと、人との「当て」が食い違わないように
このご修行をなさっている神様には、この祈願を持ってる人、
この悟りを持ってる仏さまのところには、この課題を持つ人と、
神仏さまがたのご経験と、人の祈願を揃えるように、ご案内するのが
巡礼行を重ねている「先達」のお役目なんだよなぁ~と再確認させていただいています。

小さな違いなのですが、人の職の「技能」を磨く祈願や縁結びには
道真さま(天満宮)や、荷田東丸さま(かだあずままろ・伏見稲荷)のご経験や人脈をたのみたいですし、

よいモノづくりのきっかけや材料や仕入れ先を探すには、大山咋神(松尾大社・山王)さまのご経験や、
大山祇神(おおやまづみのかみ)さまの存在にすがりたいです、

この国で自分が身立ちしたいことの祈願に向かうなら神宮(お伊勢まいり)、や熱田さんだし、

自分の女らしさを極めたければ弁財天さま、

事業の立て直し再構築の祈願は大黒天さま、

人望を集める言動や身のこなしを行するには、観音様の仏徳をたのみ、

男と女の感情の行き違いにには愛染明王様の説得、

大切な人の健康を祈ったり、死に際しての健気、死後のご成仏への導きを祈願するには、
薬師如来さまの無限の受け入れを心から祈願するわけです。

他にもおびただしい量の人と神仏の「縁」がありますが、
このように、人の祈願の発信と、
ご神仏様の受け入れが違わないように
巡禮記はご参加くださった方々を先達させていただいております。

神仏は「万能」なんだから、どこで何を祈願してもいいんだという考え方もありますが、
その中で、その「神仏万能」という扱いをしてもいいのは、
ご神仏様同士が互いに、祈願される人々の情報を共有しあって、人の流れや動きを作ろうとされているということを知っているからできること。
ひとつの神社の中に、摂社や末社として、他の神様が坐っておられるのは、そんな理由だったりしますので、

祈願する方が広く信仰深く、八百万のそれぞれの神様のお役目をご存じの場合、それはどこで祈願をしても「通じて」行くでしょうが、
単に神様ならどこでも万能!と神仏への理解を示さないと、駄菓子屋にお薬を買いに行くようなことになってしまいますから、
先達としては流行りに任せてパワースポットと神仏を揶揄するような案内はできませんし、
スピリチュアル組織のように、当て外れのミラクルを受け取りに行って、雑霊に憑依を受けるようなことがあってはいけません。

巡禮記が摂社や末社への参拝をすっ飛ばさずに大切にしているのは、
そんな神様方のご修行をさえぎらないように、つまり「神様を人から隠さない」ようにしているからです。

仏さまも同じで、ひとつのお寺の中に、たくさんの仏さまがいらっしゃるのは、
人ひとりの祈願を仏さま方それぞれの智慧を持ち寄って、解決伸展させようとご修行されているからです。

先達というのは、その部分を解りやすいように説明する係なんだろうなぁ~と
つくづく再確認させていただいております。

たとえば「世界平和、社会貢献」「創造主にゆだねる」という新興宗教的な統一概念や活動は素晴らしく、人心統一するにはいいとは思いますが、
100億キロメートル先にあるそれよりも、今、目の前にある「あなたの健康と幸せ」のほうが大切でしょ!と、
郵便受けに入る新興宗教のチラシを見ていつも思いますし、

道端に地蔵さまが、手を合わせる人の願いにすぐさま応じて動こうと菩薩行をしておられるのは、
皆さんそれぞれ「にわかに平和になった世の中で取り残されている自分」よりも、
「健康になった自分が引っ張ってゆく平和な身の回り」を祈る、あなたの祈願の本当を大切にしてほしいという、仏の本願なのではないかと思います。

これからもそんな考え方で、皆さんと巡礼を繰り返してまいりたいと思います。
いつでも、どこからでもいいですから、ご参集くださいませ!
しっかりと先達させていただきます。

巡禮記先達

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