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神様と本地仏【2022年初参りを終えて】

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伊勢神宮、氷川神社、神田明神、江島神社、
熱田神宮、そして南宮大社。
2022年の初参り、本日、無事完了いたしました。
それぞれ極寒の中、ご参加下さった皆様に心から厚くお礼を申し上げます。

この日、この時にしか体験体感できない色んなこと、
たくさんの大切な済渡(メッセージ)がありましたね!
この年の運気の良し悪しに関わらない、それ以上の大切なことの数々、
この節分からの皆さんの展開、むっちゃ楽しみにしております!

 

そして、ラストの南宮大社で、ひとつの大切な史実と、
それに関わったたくさんの魂とのやり取りの跡を垣間見ることがありましたので、
その小話をひとつ忘備録として残しておきます。

 

 

今日の先達は岐阜の南宮大社だったんですが、集合の12時までに、
現地で「本地の仏さま」を探し当て、南宮大社の参詣後に全員で訪れることができました。

神社の神様というのは、ほとんどの場合、
その本地である仏さまと対になって祀られていて、明治時代までは、ほぼ一緒の敷地にいらしたのですが、

明治の廃仏毀釈という、はなはだしく残念な暴挙によって、
仏さまをいろんな手段で廃されたり、仏さまの悟りの心を破毀(はそん)されて、現在に至ります。

お釈迦様の教えであり、仏さまの悟りのひとつである「十善戒(じゅうぜんかい)」が邪魔になったからです。
明治政府が外国を侵略して軍事国家になるためにはとても都合の悪い教えだったからです。

人のものを盗ってはいけません、嘘をついてはいけません、悪口を言ってはいけません、
騙してはいけません、婦女子に乱暴をしてはいけません、人を惑わしてはいけません、などなど・・・というお釈迦様の教えが、
武力侵略には思いっきり邪魔でしかたなくなったんですね。

そのため当時の政府は、寺や権現や明神、そして神像という存在や教え、形象物は可能な限り滅却し、
天皇の祖先である、皇(すめらのみこと)のみを信仰の対象にして、神の国として統一を図ろうとされ、
現在では神社は神社、寺は寺と南宮大社のように別々に祀られていたり、
江島神社のように、参道脇のホテルの中に本地の弁才天さまを保護していたり、
京都の下賀茂神社のように、寺は廃寺になり、神社のみが存続されているようになっています。

この南宮大社では、その廃仏毀釈の折、仏さまや堂塔を焼却されぬよう、
村人が総出で、1350年前に行基菩薩が開基した由緒あるそれを移築して護りぬき、
現在も朝倉山 真禅院として存続させています。

人々ひとりひとりの誕生と他界のおびただしい繰り返しの中で、脈々と重ねられた南宮の大神の経験と、
累々と積み重なる仏の智慧を、未来に向けて「神宮寺」として護り抜いたわけです。

巡禮記の先達は、神様寄りでも仏さま寄りのどちらでもなく、
神様も仏さまもそれぞれの経験と智慧を持ち寄って「習合」されていた時代の信仰を大切にしようと心がけていますので、

神様の鋭い祓いには、必ず仏さまの智慧がカバー(納めといいます)されていて、
仏さまの智慧を受け取りに行くには、他人による不必要な情報操作を祓い清める神様の力を頼みにしたいと思いますし、

巡禮記で先達させていただくかたがたには、祓い清め、そして納めの両方を享受できるように案内をしたいと思って作業しています。

ですから、神社を訪れる際は、その悟りを持っている仏さまの居る場所を探すのが「癖」になっていまして、
この度も南宮大社の神宮寺を探し、訪れることができました。

このようにして、巡禮記では皆様が、神様の、仏さまの両方のご経験と悟りを享受でき、
共にご参加くださった、ご先祖さまやご縁故の方々と共有しながら、
その智慧を共に未来に向けて切磋琢磨の材料にできるようにと祈りながら先達をさせていただいております。

まだまだ学習不足で、至らぬところもございますが、できるだけの調査学習をして
あるいは皆様と現地に至って学びながら巡礼を続けてゆきたいと願っております。

末筆になりましたが、この度の年始の巡禮にご参加くださった方々、
これから巡禮記にご参集くださる方々のご健勝と多幸を祈りながら、巡礼行を継続させていただきます。

巡禮記に関わってくださっているすべての皆様に、重ねて厚くお礼を申し上げます。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

巡禮記先達

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