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【回想】こんなことも考えることができるくらい、沖縄ツアーは、原点回帰な旅。

投稿日:2017年4月17日 更新日:


以下はfacebookを繰っていて見つけた 田中一人の回想録です。


 

2015年もあとわずか、
今年の11月にね、俺は女房(おかみ)と両親を連れて
沖縄に拝み(うがみ)の巡礼に出かけて、
あの世とこの世の境を巡った。

人は生まれて死ぬまで、
性というものに束縛されているでしょ?
束縛って言うと何かMUST物件のように忌み嫌われてしまうけど、
そうではなくて、
常に身の回りに漂い続けていることだな。
MUSTよりもよほど辛辣なわけだ。

たとえば、性の一つの風景で、
好きとか嫌いとか
愛するとか愛されるとか、
大切とか適当とか
それが成就される方向に進まなかったらしんどいよね。

それが叶わなくて、
誰かが、性の謳歌をクローズアップしてると
そこから逃げたくなり、
叶ってる人を見るとつらい。

でも叶いだすと、それを人に言いたくなる。
はしゃぎたくなる。
世界の真ん中で愛を叫びたくなる。

つまり、同じ人が
人の成功談を聴いて嫉妬し、
始まって狂喜乱舞し、
終わって闇の底に落ちてゆく。

その中身を細分化すると、いろんなお題と
課題と、風景が見えてくる。
おしなべて、無理矢理に統一してしまうと
そんなものが「性」の一番顕著な風景だと思う。

で、生と死のはざまにおいて、
俺ね、
性を語ることについて、
もっとその底辺の部分に戻ろうかと思った。

今、Facebookやブログを見ても、
なんだか、解放みたいなものが叶った
特殊な人たちの間で謳歌されているように感じる。
そして、それをメソッドみたいなものにして、
広めましょうとやってるけど、
皆がその境地に入ることは、極めて困難なような気がする。

そのメソッドの人と、あなたは、違う人だから。
マネできても、結果は違うもんね。

「性」はね、キラキラなもんじゃないよ。
自分たちにとって そうであっても、
誰かの見方によって、どの角度から見るかによって、
光り方も 曇り方も 変わってくるんだよ。

だから おもいっきりパーソナルなものなんだよ。

だから、俺はもっと、
自分の性って何だろう、
何を望んで かなえようとしながら 生き続けてるんだろう?
そして、
ひとりひとりが それぞれ求め方が違って、
それぞれが パートナーとして選ぶ人も違い
求めあった結果として 得られる形が違うのが性だ。
その基本的切望に矛先を向けようと思ってる。

2016年
そんな問いかけをしながら動いてみようと思う。

ここにいるとね
素朴に、情報に振り回されずに性を謳歌した魂が、
ニライカナイから戻ってくるときに
発する声が聞こえるんだ。

須佐厳

2015年11月
テダ御川(テダウッカー)にて

 


 

 

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