【祈りを言語化なんてできなくていい】
〜生きにくさと戦う、大切なあなたへ〜
大丈夫だよ。
言語化できることが全て祈りではないよ。
あなたが、そうやって自分の苦しさや
しんどいな…生きにくいな…って思うことも
全部含めて、欲も垢も全部含めて、
「大丈夫」だと思えるようになりたいこと。
何かご自身が嬉しくなったり
これが幸せなのかなーと思える瞬間を
創り出していく力を発揮したいと願ってること、伝わっているよ。
幸せを感じて生きたいんだ!!と
いう気持ち、その深いところの祈りは
もうご神仏に届いているんだよ。
届いていないから、叶わないのではなくて
届けかたが下手くそだから、叶わないのではなく
少しずつ、もう叶っている。
少しずつもう、叶っているんだ。
その方向へ、心を向けてる瞬間から
流れているんだよ^ ^
この地球に、あなたとして生まれて体験する全ては、自分がものすごく忘れているだけで、
魂が心と肉体とセットで人生のトライコースとして選んだもの。
そして今日また創り出せるもの。
そんなこと言われても信じられないし、
だいいち、苦しいのはやだし、知らん!!と
思たらまずそれも第一歩で、人生絶望してから
やっとクリエイトしていけることもあるから
大丈夫だよ(^-^)
何もない、欲しいものがない、安心がない、不安ならいっぱいある、と見える世界から、
どうやって安心や欲しいことを形を変えて自分に与えていけるか、
どうやってあなたをこの現世で少しでも笑わせてあげられるか、
そんなチャレンジを魂がしているんだね。
そのチャレンジの中で、主人公はあなたで、神仏やご先祖さまはその見えない応援団だから(桃太郎でいうところの、犬、猿、キジみたいな強い味方だね!)どんな風にサポートして欲しいのか、伝えていこう(^-^)
うまく言葉にならなくてもいいよ。
神仏とこまめに、お参りしたり祈りで動いてると信頼関係になるし、それだけで動いてくれることもある。
『私が幸せって思えるほうを選んで生きる。これからの人生でとにかく1秒でも多く笑って生きるから、そう決めたから、いっしょに手伝ってください。いいように助けてくださいねっ』みたいなのでもいい。
あったかいおじいちゃんに甘えるみたいな
感じがあってもいいと思うんだ。
決めて伝えることは少し怖いかもしれない。
「こんな私のまま、言っていいの?」
「こんな私のまま、決めたって言っていいの?」
の怖さが出るけど、いいの。
自分の幸せのことだもん。
1秒でも一瞬でもそう思ったら、
決める!決めた!と言っていいの。
1秒でも、一瞬でもあなたがやりたいと思ったらやっていいし、ちょっとでもくすっと笑えたら、それを自分の幸せに認定していい。
そこを、少しずつ信じてみるかどうか、で
きっと「大丈夫」が増えていくよ(^-^)
だから、巡禮記のお詣りも、
あなたの体一つで
なんの言語化も纏わずに来て大丈夫だよ(^-^)
一人一人が自分はすでに「祈りの結晶」なんだと 気がついて生きる、その背中を押してくれるのがお詣りなのだと思ってる。
わたしたちはそのサポートをしたいんだ。
「祈りの結晶」を大事に扱って生きてくと
勝手に周りの誰かのためになっていく。
勝手に周りの誰かの傷を癒して護り
勝手に知らないところで誰かの勇気を倍にする。
いっしょに、いいお参りしよう。
記:松本育子
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●巡禮記 遠足ツアースケジュール
http://susagen.ciao.jp/junreiki.com/01/10/130