巡禮記では
遠足やツアーのなかで、
訪れるお寺や神社の境内にある
龍神さまを祀る場所にもご案内しています。

巡禮記先達チームは、
自然のあらゆるうごき、ながれを
「龍神」と呼んでいて

その中には
個人的に感じる特別なエネルギー体や
守護や導きの信仰の対象も
自由に含まれるのですが、

あくまでも、
どんな人にも必ずある「この命を生きている」という動き・流れに龍神をみて、

それをどんな神仏という動きや流れに寄り添わせて生きていきたいか、を
龍神さまへの祈りとしてご案内しています。

先日の奈良の談山神社の
龍神さまを祀る水辺の祠で
先達チームからはこんな話をお伝えしていました。
ご紹介します(^-^)


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お花かわいい!と笑う人をみて
いいなぁ、と感じるのは
その龍神(動き、流れ)を感得することになる。

何かに感動している人をみて
その龍神(うごき)を感得すること

恐れ多い畏怖の念を感じている人をみて
その龍神を感得すること

ありがたいなと感じている人をみて
その龍神を感得すること

 

そうやって「幸せそうな」とか
「面白そうな」「心震えるような」
動きやながれ全てを感得して行くことが、

龍神への寄り添う祈りそのものになる。

 

ここで言う感得することとは
同じように感動しろとか感謝しろと言うのではなく、

まだ自分には未体験だから
同じ気持ちにならなくてもよくて

ただ、その出来事を素直に自分の世界に映し出されたこととして、感じ入るということだ。

感得することでそのような動き、流れを
自分にも呼び込み自分のこととして
体験して行く運びになってゆくからだ。

 

神仏として祀られる龍神スポットで

良き流れを祈るとそれに気付きやすく
見つけやすくなるだけのこと。
幸せな流れへのチャンスに触れやすくなる
だけのこと。

 

何にひとの
「幸せそう」「面白そう」「感動」を
感得するかはその人によって違うからこそ
心地よく感じる流れへの寄り添い方も膨らみ方も違う。

神仏として祀られておられる龍神さまの場で
自分の流れを祈るとき、
自分の中にだけでなく、

まわりの世界の流れ、動き、ひとつひとつに
感得して行く素晴らしいものが溢れていることに気がつく。

 

どんな龍神(動き、流れ)も
点(自分という個、1つの視点)だけでは
何も起こらないし、存在しないのだから

 

身近な人たち、その場にいる人たち、
目の前の人たち、目の前に広がる風景、
すぐそこにある動きや流れに

 

あなたの心動くものに
寄り添わせたいその流れに
自分の龍神を感得させていこう。

 

龍神への祈りは

特別な存在になることではない
すごい人になることでもない

 

そんな当たり前を、目の前の暮らしの世界を
大切に感じ入っていく祈りを生ききることに
他ならないんだよ。

 

そこに、幸せのひみつは川底の砂金のように
たくさん散らばっているんだよ。

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(巡禮記 古代奈良飛鳥ツアー談山神社)