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【ミロクの世はいつ 来るのか?】

投稿日:2018年6月5日 更新日:

【弥勒菩薩さまのミロクの世はいつ来るか?】

巡禮記の遠足では、様々な仏閣へも訪れる。

本尊でなくともそこにおられる

弥勒菩薩像の前で

静かな時間をいただくことも多い。

弥勒菩薩様とは、

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《wikiより》
弥勒は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。
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つまり、56億7千万年後!の未来仏。

それまでは違う姿で修行されているという。

初めて先達から弥勒菩薩さまの

ミロクの世の話を聞いて以来、

巡禮の中で弥勒菩薩様に祈るにつれ、

 

未来仏のその意味を感じているうちに

ようやく私なりの解釈が生まれてきて、

弥勒菩薩様が大好きになった。

 

随分前に最初に訳もわからず覚えたご真言が

《オン  マイトレイヤ  ソワカ》

そう、弥勒菩薩様の真言だったこともあり、

近くの広隆寺の弥勒菩薩像の前で

ぼうっとする時間に何度も救われてきた。

 

だから、正確には

大好きだった仏様がさらに大好きになった。

 

 

『弥勒菩薩様が現れて全ての人々が幸せで

何もかも不自由なく喜びしかない極楽の世界

は、56億7千万年後にくる。』

ということは、どういうことか??

 

『56億7千万年後、つまりそれは

人の今の時間軸の捉え方では

【永遠に来ない】 ということなんだ。』

 

これについて、解釈してみた。

自分たち人間は肉体があって

今も、

ずっと一直線の「トキ」を生きていると

思っている。

だから

いつかの幸せ、いつかの悟り、を

求めてしまう。

 

けれど、それは【永遠に来ない】と

弥勒菩薩様はおっしゃっている。

 

 

仏様の悟りの世界には、

実は「トキ」の概念がない。

亡くなってご成仏にあがられた魂にも

トキの概念がなくなる。

 

だから執着が消えてゆく。

そして、人の心や魂もまた、然り。

 

「トキ」の概念にとらわれずに

この肉体を持ったまま、瞬間ごとに

自由に観じることができるのだと言われる。

 

 

つまり、その弥勒菩薩様のミロクの世、

《56億7千万年後》は1年後かもしれないし、

1秒後かもしれないし、20年後かもしれない。

i

弥勒様に祈る、というのは、

『永遠に来ない】いつかの幸せのために

祈るのではなくて、

そのプロセスをどうこうする

というものでもなくて、

 

 

今のあなた自身が観じている「トキ」の

ままで、弥勒菩薩様の この意識に重なり

寄り添っている瞬間のことなんだ。

 

 

【その幸せはいつでもある】ことの智慧に、

あらゆる限定をしない

今の自分の無限の可能性に、

心身開いて寄り添うことなんだ、と。

 

 

※よき仏像はそこに宿る仏のエネルギーを人にわかる形で表現されていると聴きます。弥勒菩薩さまの意識というものを顔や体の表現で表した姿や、梵字の形などからそれぞれの心に伝わる安堵やトキを超えた自由の拡がり、感じ取るものがその答えだと思います。

 

私のようなゆるい人間は、

ここで、

「今、ここ」だけを言わないところが

弥勒菩薩様の優しさを感じて好きだ。

 

1秒後でも、56億7千万年後でも、

「後」と言ってくれる

その “ゆとり” や “間” みたいなものが

なんだか優しいな、と思うから。

 

仏像の微笑むわずか1秒の「ゆとり」こそ

人に与えられた「時間」のゆりかご。

 

人々がまた、この世を自由に観じて

ゆりかごに 行ったり来たり 揺られながら

思い思いに生きるための 冒険と安堵をくれる。

 

この1秒こそ、人が手を合わせて祈るための

与えられた「トキ」なのだと感じている。

 

記:松本育子

 

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