先達、田中一人の講話記録より
【祈ったように生きるには】
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ご神仏は
あなたが祈った瞬間から
祈ったようになるようにと
智慧を持ってたくさんのチャンスを
くださる。

だから、祈った後に
自分にやってくる出来事や
チャンスと思えるご縁を感じたら
自分の方向に引っ張るのに
躊躇しないこと。
つまり、そうだ!と思ったら
やってみることが大事だ。

 

もちろん、ハズレくじは
たくさん引かせて下さるから
要らなかったら捨てたらいい。
ハズレくじはあなたが願い
叶う過程でたくさん観せられる。

だから動いてハズレを引くことを
怖がらずに自分なりにやってみて
取捨選択を続けていくと

.
あなたの願い、祈りがよりはっきり
してくるし、自分が何をどう
願っているのかを具体的に
細かく知ることができる。

そうすればさらに
自分の幸せに沿う祈りができるだろう。

 

ハズレくじを引っ張りながらも
そのたびに自らの本心を見つめ、
素直な欲を知り、
自分の幸せへの探求に貪欲に
挑み続ける人は祈ったように生きて行ける。

そんなひとを横目に、

失敗を恐れて、嫌って
欲深くないフリをしてる方が
よほど欲深いと言える。

それはやせ我慢になるし、
我慢してるのは、実は一番の
欲に育ててしまうのだ。

それは自分に嘘をついて
生きていることになるのだから。

 

そういったことから、
信仰の中ではハズレくじが
たくさんあったほうが勉強になる。

ハズレくじはその都度経験して
感じることで
あなた自身の祈りをより豊かに、
自分の幸せに寄り添うものに
してゆけるチャンスだ。

それを「祈ったのに、叶わない!」
という短絡な結果論にしてしまったら
あまりにもったいないと思う。

.
自分の祈りをそんな風に長い目で

育てて行ける人は、起きてくることも

すべて、祈ったことを起点に

ご神仏との関係性で起きてくることだと

捉えることができる。だから、

祈りは叶う、叶わないではなくて

「祈ったように生きる」しかなくなるんだ。

.

神様仏様との付き合い方では
~~をするといけない、
~~をするとバチがあたると
よく言われている。

一般にタブーとされている事項が
とても多いけれど、

実は
ご神仏に嘘つくのが一番よくないのだ。

ひとが欲深くあるから
バチがあたるのではないということ。
あなたが祈ったようになる先に
自分の真の幸せがそこに実って
いるのかどうかは、

隠さずにその欲を
ご神仏にさらけ出してみるからこそ、
自分で気がつくことも多いから。

もしあなたが
「わたしなんて。。。」という
自己卑下からくる願いをすれば
自己卑下していることをちゃんと
あなたにわからせる形で
そう祈ったようになっていく。

.

でもそれに気がついたなら、
祈りを修正すればいいんだよ。

あなたの心身とズレた祈りをすれば
祈ったようになってゆくが故に結果
あなた自身が苦しくなってゆくから
バチと感じてしまうだけのことだ。

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もし、わざわざ鳥居を壊すとか
神跡の場を荒らすとか
そういった行動によって
神仏を冒涜する心でいたら、
単純に
頂ける智慧も加護も「要りません!」と
主張しているだけのことで、
バチがあたるわけじゃない。

そういったバチ、といった怖さの形に
囚われるよりも

もっとまっすぐにご神仏に
自分の祈りを伝える正直さを
大切にしてほしい。

そして、祈ったよう生きる自分を

大切にしてほしい。

 




巡禮記 先達 の講話記録より 抜粋
(祈り ダイジェスト 2)

編集まとめ:松本育子