あなたが、深い関わりのある
自分以外の人のことを祈りたい、と
願うこともあるだろう。

大好きな人の幸せの形を祈りたい!
可愛い子供の成長を願いたい!
無二の親友の病気を治して欲しい!
そんな想いは誰にでもある。

例えば
あなたがお友達のことを祈るときは
「友人の病気が治って
元気になりますように!」
だけではなくて、

「この◯◯という私の友人が
病気で亡くなったら
私がとても寂しいから、どうぞ
身体の状態が健やかになりますよう
助けてください。」
というように、

絶対に「自分の」願いであることを
根底に据えることが大事だ。
それはあなたの願いであって、
あなたの祈りとして
ご神仏に届くことになるから。

誰もあなたの人生の代わりはできない。
あなたも、誰の人生の代わりもできない。

だからこそ、赤裸々になって
ご神仏に嘘なく伝える祈りは、
あなた自身が真ん中にある祈りで
あることがとても大事だ。

それが、凡夫である個々人にできる
信仰と祈りの姿だと思う。

一番祈りが通じないのは、
何も考えずに手を合わせて
適当にいい人の代名詞みたいな

「世界平和を祈る」態度をすること。

もちろん、
国家の主などが真にそうあるように
よき政治ができますように、と祈ったり
する場合は別だ。

世界平和を願うのが悪いとか
そういう意味ではなくて、
自分が真ん中にいない祈りを
すると通じないよ、というだけ。

あなたがもし、付き合い始めたばかりの
男性と神社へ行って
横で手を合わせている彼が
「世界が平和になりますように」と
祈っていたらどう思うだろうか?
いい人だなぁと思うだろうか?

それよりも、たとえ同じ
世界平和を祈っていたとしても、
「僕はあなたの喜ぶ顔がみたいから
あなたと過ごす時間、あなたと過ごす
この世界が豊かでありますように」と
祈っている男性の方が、遥かに
きゅんとくる男前だと思わないだろうか?

自分という主語が祈りの真ん中になく
上っ面を滑っていくような
世界平和、というような祈りでは、
ご神仏にも、人にでさえも
伝わらないし響かないのだ。

自分の幸せが根底にあるかどうか。
まず自分の幸せがあって
自分から溢れていくことで
世界が豊かになることを知れば、
そのような
上滑りな祈りはできなくなるよ。

それはそのまま、
大切な人とのコミュニケーションの
必須となる要素だし、
嘘なく自分を生きる軸になる。

祈りは
あなたの暮らしの集大成だ。
どう祈るかは、どう生きるか、に
そのまま置き換えられる。
この一生を、嘘なく祈り続けて
あなたが成してゆくものが
かけがえのない宝となりますように。


先達 田中一人さん 巡禮記お話会「祈り」
講話記録ダイジェスト7より

まとめ:松本育子


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