講話会レポート

【須佐厳が熊野へ皆さんをお誘いするわけ】  3月3日から2泊3日しましょう。

投稿日:2017年2月14日 更新日:


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熊野は 黄泉の国の入り口。
そう云われれば、忌みごとのように
恐ろしくて近づけないって 嫌う人もいるだろうけど、
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陽の当たる昼の世(この世)を司る 伊勢との対比をすると、
まさに、あの世と この世。
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その両方を 何度もくぐり抜けてきた経験を持ってる あなたの魂にとって、
どちらが先で、どちらが後なのかてことの順番は無くて、
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この世か黄泉の国のどちらかがしんどい ということは、
実は両方ともしんどかったんです。
つまり、その人の魂の経験 そのものなんだよね。
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だからこの世も あの世も、
素晴らしく、忌み事なきようにしたいよね。
どちらかに遺恨がある魂を持つ人は、
特に闇(黄泉)を嫌うから。
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俺はね、
この黄泉の国の入り口で「高笑い」できる人が、
「成功」という 陽の当たる場所での頂点を
何度も極めることが できる人だと思ってる。
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闇というものを遺恨なく知っているというか・・・
「黄泉の安堵」というのかな?
つまり極楽浄土だね。
魂にその善き記憶がある人は、魂を幾度も成功させる。
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俺が熊野を先達するのは、
今生での魂の成功を期するため。
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つまり、あの世とこの世、両方の記憶があるはずなのに
片一方に遺恨をもって頓挫している
「魂の再生」をしてゆくんだよ。
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だからあなたと、後ろにおられるたくさんの方々を
一緒にして先達をさせていただく。
そのすべてを知って、納得して、あの世とこの世の
あなただけのオリジナルの架け橋を作る。
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そしてその架け橋には「苦悩」や「恨み」や「恐れ」が
あっては動きにならない。
「智慧」と「動き」がないと生きているあなたの行き先も
力の加減もわからなくなる。
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それができて「中庸」というものが解り、
あなたオリジナルの「グラウンディング」の定義ができる。
その言葉こそ、「思想」とか「教義」とかで
人に指図されるものじゃなくて、
自分の魂を動かして、見つけて行くものだと思うんです。
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写真集の「神倉山」は、
その巡禮(じゅんれい)のひとこま。

祈りの場所に向かう 膝より高い石組を登る 家系、家族、失ったもの、得たもの言い棄てられた言葉吐き捨てた言葉いろんなものを背負って登る 人には煩悩というものがあると云われる 我儘が、たとえば煩悩であるとするならば祈りの…

フォトグラファー須佐厳さんの投稿 2015年3月26日

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2泊3日で熊野に参ります。
全国津々浦々からお越しください。
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(注・ツアーと書いてますが、現地集合、現地解散です。
代金に旅行に必要な費用は含まれておりません)

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