他の四国先達さんはどう思ってるかはわからないですが、

四国霊場以外のいろんな聖地も先達してる経験から
巡禮記の先達は、
ひしと感じることがあるんですよ

室戸、特にこの最御崎寺(ほつみさきじ)は
折り返し地点ではないかと。

なんでかと言いますとですね

弘法大師という諡号(きごう)も
遍照金剛という法号もですね 実は

誰かに与えられたもんなんですが

「空海」という名は
虚空蔵菩薩求聞持法を満願された
この室戸で お大師様が
ご自分で命名したものなんです

つまり
空海という人が
立ち昇ったポイントなんですね

占いというのは
少し道を外れてしまいますと
「どうやって人を言いくるめるか」に
傾倒してしまう術法なんですね

でもそれに終始してしまいますと
人は
自分で自分の名前さえ
付けることができなくなってしまうんです

そして
私はすごいだろ
私の言うことを聴けと
大口を開けて 人を脅しで導くか

私が真実ですという人の術に
まんまと捕縛されてしまうわけです

そして
自分という宝物を
長い時間
あるいは終生 見失ってしまう

この折り返し地点で
それに気づかれ 再認識されたことは

これからの あかりさまのご活動
それからたくさんのあかりさまのクライアント様にとって
とても大切なことだと思います

それだけで
巡禮記の先達は成功だったと思えるほど
嬉しいご感想をありがとうございました

粛々と しかし朗らかに
これからもへんろを続けてゆきたいと思います

スタンプラリーではない巡礼の妙味
これからも大切にお楽しみください

 


四国お遍路 巡禮記(じゅんれいき) の旅
今回は土佐の室戸編です。
お遍路巡禮を意識し始めたのは、大切な人を亡くされたお客様がきっかけでした。
そして今回、室戸の旅を終えて感じていること
ご神仏やご先祖様に祈ることができる有難さと心強さをひしひしと感じることです。
=
私は、仕事柄、様々な方とお話させて頂きます。
仕事のことや人間関係、家族や難しい恋愛
愛着と執着の狭間で揺れながら、どうしようもなく辛いことや悲しいことを抱え道に惑い、それでも自分が納得できる生き方を願いたいと尋ね来てくださるお客様。
もちろん、さまざまなご相談が寄せられる中でも、自分にできることは限られていることも知っています。
けれど、その限られている中でも誠を尽くせるよう、相談くださる方が納得の道につながるお手伝いをさせていただくためのお智慧を頂戴できる機会が、私にとってご神仏に手を合わせることであり、その機会が得られていることの有難さと心強さを、今、ひしひしと実感しています。
それともうひとつ。
自分に潔く、また大胆になれるということ。
どんなに綺麗な真理があったとしても、生きてるうちは地獄餓鬼畜生修羅人界を行ったり来たりするのも「人」ですから。
綺麗ごとでは割り切れないどうしようもないことも多々あるわけです。
そして、中途半端な綺麗ごとで誤魔化すことのないよう、祝詞や般若心経、ご真言を唱え、ご神仏やご先祖様に自分の今をさらけ出するだけですが、事あるごとに「あぁ護られてるんだ」と気づくことが多くなります。
アカンもんは「アカン!」って言われるし
大丈夫なものは「大丈夫!」ってなるので
兎にも角にも、やってみて、その結果をみて、そしてまた次をやる。
もう自分を誤魔化せなくなりますから、苦手やからやりたくないなぁ、、、となっていても、やらなければならないことなら腹を決めるしかなくなります(笑)
そして、そんな繰り返しの毎日を淡々とやっていくことだけで道がついている。
だから
引き寄せだー! とか
自己肯定感を引き上げようー! とか
そんなことはどうでもよくなって
ただただ自分に正直に丁寧に毎日を繰り返すなかで、潔くも大胆にもなれることがどれだけ私にとって大事にしたいことであるかを思い知ります。
そして、これが先達による巡禮に参加し続ける理由。
見えるとか聞こえるとか、そういうことは全くなくて、ただ「大丈夫を感じる」といえばいいでしょうか。
地獄餓鬼畜生修羅人界を行ったり来たりしながらも、「それでええんよ」って笑って許してくださるご神仏が大好きなだけなんですが(笑)
けれども、そういうご神仏の在り方に触れられることが巡禮記の醍醐味だから、というのもあるかもしれません。
自分はどう在りたいの?
悩み迷うからこそ手を合わせて問い、自分を知っていく旅でもあります。
=
先達の
ご一緒くださいました皆様、ありがとうございました!

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