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男の巡禮記ツアー参加 回想するとおもしろい

投稿日:2023年6月22日 更新日:

男性の視点で巡禮記のツアーのご感想を頂いたことはあまりないのですが、
しっかりと歯に衣を着せずに書いてくださり ありがとうございますーーーーー
準備段階からの動きも添えて下さり、うろたえる男性像がビビッドに伝わってくる珠玉のエッセーをいただきました。

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2023年6月2日~4日
巡禮記の箱根・三峯・富士ツアーに参加させて貰いました
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最近、私は神社にお酒を奉納して「おぉ~、ついにワシもこういうことする人になったんやな!なんかワシ大人やん!」感をしみじみ味わうことがマイブームとなっている。

そんなところで、FaceBookをぼんやり見てたら、珍しく巡禮記が関東ツアーをやるという情報をキャッチ。

初日が箱根神社(&九頭竜神社)だとか。

昨年10月。
箱根神社&九頭竜神社では、ご祈祷を受けており、その時、祈願した、仕事の件が今年3月に1つのハードルを越えたところだったので、そのうちお礼参りをしたいと思っていた。

むむ。
これはマイブーム実行とともに、久しぶりに田中さん、育子さんに会えるチャンスや!と思い、参加させて貰うことに。そうと決まれば、早速、近所の「やまや」に突撃して箱根神社(&九頭竜神社)に奉納するお酒を物色する。

いかにも「御歳暮です」という感じの一升瓶2本セット(箱入り)が目につくが、「いかにもな路線」を敬遠したがる性分の私は、念の為、他の「通っぽい地酒」等々を物色。

商品棚の前で小一時間ほど悩むという行為を2日ほど繰り返しすも、元々、酒のことはよくわからない上、あまり通っぽい方向に行き過ぎると、コスト的に私の許容範囲を超えてしまう。

ということで、悩みに悩んだ末「いかにも御歳暮です感満載の一升瓶2本セット(松竹梅)」をレジに運びつつ、「結局それかい!」と心の中で自分に突っ込む。

しかし、これで準備万端である。

母から小耳に挟んだ情報によると日本列島に台風が近づいてるとか。

ふっ、上等である。

こちとら「いかにも御歳暮です感満載の一升瓶2本セット(松竹梅)」を用意した手前、地球が割れたりしない限りは、なにがなんでも箱根に向かう覚悟は出来ているのだ。

ということで、ツアー前日、気合いを入れて早めに就寝。
が、気合いが入り過ぎて、AM3時に覚醒。

起床予定時間より3時間ほど早いが、この時間に車で出れば高速を使わんでも箱根に余裕で着けるぞいと、不意に経費削減策が降臨。

あぁオレってなんて天才なんだろう。いやいや待てよ。これは九頭竜神社の金運パワーが炸裂したということか・・・等々、考えてるうちに、だんだん車の流れが渋くなり、結局、都内あたりから高速を使って箱根神社に着いた。

まずは個人的なお礼参りを先に済ませる為、例の一升瓶2本セットを持って箱根神社の階段を秒で駆け上がる。

拝殿に直行して「栃木くんだりからはるばるやってきて、お酒を奉納させていただきますよ」ということを神様に猛烈アピールした後、社務所のお姉さん(というか巫女さん)に、雨でデロッデロになったお酒の箱をお渡しする。

しばし「やりとげた感」に浸っていると、社務所のお姉さん(というか巫女さん)がお土産をくれた。神様からのチョットした「お返し」ということだろうか。

感無量である。

号泣しながら駐車場に戻り、無事に巡禮記の皆さんと合流できたが、この時点では、何人の参加者がいるのかわからない。

また、私のような「たまにしか参加しない人」にとっては、どこからどこまでが「本日の参加者」なのかも曖昧である。

そんなところで、無理に「社交的な人」のフリをして、知らない人に声を掛けてしまうと、全然関係ない人に挨拶してしまうといった事故が起きる可能性もあり、注意が必要な場面である。

また、中途半端な声量で挨拶して、スルーされたりすると、こちらのメンタルももたない。

序盤は注意深く周囲を観察しながら、「居るか居ないかわからない程度」の気配を醸し出すことに集中するべし。

ということで、
いよいよ箱根神社(&九頭竜神社)のお参りに突入。

とにかく、この日は暴風雨がハンパない。

自分の中の余計なモノをキレイサッパリ祓い清められたぞいと、巡禮記的な解釈をしてみるも、ふと気がつくと、この日の記憶もキレイサッパリ祓われたらしく、残っている記憶と言えば以下のようなものだった。

①ここは元々、寺だった
②廃仏毀釈も良し悪し
③九頭竜神社本宮の帰りに田中さんコケた

遠路はるばる行ったわりに、残った記憶はアッサリしているが、それで良い。

この日は何かを頂く為ではなく「己が試される機会」と解釈済みの私にとっては、これでも結構残った方である。

箱根神社からの帰りの山道で、川のようになった道を突き進む恐怖も含めて修行だと捉えつつ、その日の宿泊地に向かう。


2日目も雨を覚悟していたが、既に「神のお試し」は修了したらしく、クッキリとした快晴で三峯神社に迎えられた(と、解釈した)。

先達の田中さんによれば、三峯神社も元々はお寺とのこと。

言われてみれば「お寺感」のある社殿である。一応、ご祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊となっているが、どうも巡禮記的な本命は大口真神様なのかなという気配。

が、いざ振り返って見れば、個人的に1番大きな収穫と思えたのは、ズラーっと並んだ摂社末社の中にあった、東照宮と大山祇神社であった。

東照宮の御祭神と言えば東照大権現(徳川家康公)。

実は、私にとっての産土神であり、日光東照宮でご祈祷を受けた際に頂いたお札に毎日、挨拶したりして、非常に身近に感じている神様なのだ。

しかしながら、武将としてのエピソードは豊富ではあるものの「神様としては一体どういう感じなのでしょうか?」という思いは常々あった。

また、大山祇の神も、家から最も近く、昔からなんとなく馴染みがあり、巡禮記に参加するようになってからは、ご祭神を調べたりして、足繁く通っている地元の神社で配祀神として祀られている神様。

なので、名前や「山の神」というザックリとしたスペックは知っているものの、あまり詳しい情報がない神様でもあり「同じクラスメートだけど、喋ったことない人」に近い存在であり、要するに、もっと色々知りたいんだけどな~と思っていた。

そうした、馴染みはあるけど、よくわからない神様と、ここで対面し、先達からの説明で、今まで知らなかった神様の得意分野?※を教えて貰えたのは、自分にとってはこの日1番の収穫だったのだ。


そして翌日、3日目の富士山本宮浅間大社。

前日の夜、秩父から富士山方面に2時間以上かけて移動してる時に雨が降ってきたので、3日目はまた雨のお参りを覚悟したが「ご褒美か!」と思うような晴天。

三峯神社のような凄みは全く感じず、また、3日前には初対面で距離を感じた他の参加者さんとも、さすがに多少は距離も縮まり、天気の良い日曜日に友人と観光地に遊びに来たかのような気分。

こちらの御祭神はコノハナサクヤヒメ。配祀神に大山祇神と瓊々杵尊。

どうしてもコノハナサクヤヒメに注目が行きがちのような気がするが、個人的には瓊々杵尊についての育子さんからの説明が心に残った。

瓊々杵尊と言えば、箱根神社の主祭神でもあり、昨年のご祈祷の際に頂いたお札が我が家にもある。

個人的には馴染みのある神様ではあるものの、古事記などで描かれるエピソードから、なかなかポジティブな印象を持ちにくかった。

育子さんが語った内容をここで要約して書いてみたが、私が要約すると、いまいち良さが伝わらなさそうなので、内容は割愛するが、まさに「瓊々杵尊の新解釈」という感じで目からウロコ。

参加者それぞれの視点で色々と心に残るものはあったと思うが、自分にとっては、これまで「身近ではあるけどチョットな・・・」と思ってた神様に対して、心置きなくポジティブな気持ちで向き合えるようにして貰えたのは大きい。


さておき、
ここら辺で巡禮記そのものについて、思うところを書いてみたい。

往々にして神社では、立て札などにザックリとした説明が書いてあったりするが、そういったものが全く無い場合もある。

ただ、説明の立て札があったとしても「で、ワシどうしたらいいの?」という感じのことしか書いていない場合が殆どのように思う。

私の場合は、これから自分が相対する存在がよくわからないままでは、気持ちも入らないので事前にネット等で予習していったりする。

しかしながら、公式HPやWikipediaでは、通り一遍の情報に毛が生えた程度しか得られない。

一応、そういう情報も基本として押さえるものの「知りたいのはソコじゃないんだよな~」ということが多い。

また、うっかり「スピ系女子のパワスポ巡り」みたいなブログを見てしまうと、「ここは凄いパワースポットです。ここの御神木からパワーを頂きました(要約)」みたいな感じで、「あぁ~はいはい」と言いながら「戻るボタン」を押すことになる。

別にパワースポットでも良いんだけど、何がどういう理由でパワースポットになってるのか?というあたりまで教えて貰えると、そっちの言い分も信憑性が増すし、こちらの興味も増す。

その説明で納得いけば「ほうほう!パワースポットであるな。こりゃ心して参拝せねばなるまい」といった感じで、気分も盛り上がるというものだが、その辺まで踏み込んだブログはほぼ無いような気がする。

一方、巡禮記のお参りでは主祭神の祀られている本殿は勿論のこと、摂社・末社でも、必要に応じて解説が入る。

公式HPにあるような基本情報や、古事記等にあるエピソードを交えつつも、「実は、コレってこうだったんだよ。だから、ここではこういう方向の祈願をすると良いよ」といったことを教えてくれる。

また、個人的な事情や悩み、目標などを、あらかじめ先達の田中さんや育子さんが把握している場合は、その人に合ったカタチで「こんな風に神様に伝えるといいよ」的な感じでアドバイスが貰える。

なんなら、その場で先達が神様からのメッセージ(と思う)を個人的に伝えてくれることもある。

勿論、あらかじめ先達がこちらの事情を把握していない場合でも、その場で相談すれば、結構じっくっり足を止めて向き合ってくれる。

そういう意味では、私のような「たまにしか参加しない人」でも「完全に初めての人」でも、正直に自分の気持ちを吐露すれば、常連ユーザーと何もかわらない濃さで個人的なアドバイスを貰えるところが巡禮記の良いところかなと思う。

とは言え、
巡禮記ツアーに参加せず、個人的に神社参拝する良さもあると思う。というか、どちらかと言えば、個人的にはそういう方が気楽で好きかも知れない。

ただ、巡禮記では、自分1人で神社参拝してるだけでは得られないことがあると思う。

巡禮記に参加して、その後も自分の中に何かが残って、考え方や、神仏や家族・友人や仕事などとの向き合い方が変わるということがあれば、そういうところに大きな意義があると思う。

以前に参加した巡禮記で教わったことや、心に残ったことを自分なりのペースで咀嚼して、日々の生活に採り入れる。

例えば、「馴染みのお地蔵さん」を持つために、近所のお地蔵さん達のところに足繁く通ったり、自分の先祖供養をするために、祖父母の名前や命日を調べたり、先祖のお墓を探したり。

そうやっていくうちに、自分の中でも神仏との向き合い方が変わってきたし、いつの間にか「神仏と付き合ってる」という感覚が生まれていた。

こういう言い方をしては少々おこがましいような気もするが「家族が増えた」とか「仲間が増えた」というような気分に近い。

結果的に、それで何か良いことがあったか?と問われると、自分的には「あった!」と思えるものの、客観的に見て、あきらかな大金持ちになってるとか、そういう変化は今のところ無いので、信じる気が無い人に対しては説得力は弱いのだろうと思う。

ただ、家族や友人などにも相談できないようなこと、相談しても仕方ないだろうなと思えることの相談窓口として、「助けて貰ったな」と思うことはたくさんあった。

この時、相談する側にも、それなりのスキルが求められるようだというのは、巡禮記に参加するようになってから知ったこと。

相談する相手(神仏)の得意分野?とかを知らずに相談すれば、相談された方としても「いや、そう言われても・・・」となりそうである。

また、その際の「言い方」というか、どんな風に相談すれば良いか的なことを教えて貰える。

と言っても「さあ、○○を●●するには、◆◆と言いなさい」と、なにかのセミナーのように教えて貰う感じではないのだけど、先達と一緒にお参りしているうちに、なんとなく「そういう感じっすか!」となってくるのだ。

特段、なにか宗教的な思想に誘導するようなことはなく、その人の思想信条は尊重しながら、その人に必要と思われることに助言できるようならする・・・という雰囲気だ。

巡禮記でまわる1つ1つのお参りは、何かしらのテーマがあって、その時々なりの意義があるのは勿論だけど、その後も自分の中にずっと残る智慧(というのかな?)そういう部分に本質的な価値があるのかなと思う。

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ということで、
また参加させて頂きますね!

本当にありがとうございました~!

※神様の得意分野とは
古事記や日本書紀にある「神様図鑑」的なものではなくて、そのように名付けられた神が、いつ、その場所で、誰の願いで、どのように祀られて、どんな人たちに崇敬されて、どのように興亡再起して、どんな実績を作ってこられたかを先達は総合的に鑑みて、その神様との問答や済渡で得意分野を測ってゆきます。
例えば縁結びで有名な大国主命も、祀られ方、祈願のベクトルによって「縁切り」を進められる場合もあるくらいですから。

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