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巡禮記の 遠足 や お話の内容 って 難しいの?

投稿日:2017年4月4日 更新日:


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例えばね巡禮記(じゅんれいき)が
「宗教」の話だったら、ものすごく難しいと思いますよ。

宗教は特殊な能力を育成するところだからね。
何より、誰も達成したことがない「戒律」てのが存在しますから
死んでも満願できないくらいむつかしい。

そりゃあそうだよ、
ほとけのマネを生きながらに追求しようとしてるんだから。
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さて、巡禮記(じゅんれいき)の話や動きの主体は、
現実の「信仰」の話なんです。
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信仰宗教 って何が違うのかって、
よく尋ねられますが、
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「宗教」はね、
~でなければいけない!って深めてゆくお話し。
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「信仰」はね、
~でなくてもいいんですよ!って、広げてゆく話。
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ほら、宗教・信仰って言葉が似てるようで、全然違うでしょ?
これが動き方の違いです。(注※ 双方に差別・善悪・優劣はありません)
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そして、
「宗教」は、求道するもので、
携わった人だけが特別資格を極めるための、
僧侶・神官・指導者・修行者などの特別な人が取り組むもの。
そして、宗教は辞めることができます。
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「信仰」は、願ったり祈たりすることのすべての行為で、
人の職業に貴賤の差がないように、
凡夫(ぼんぷ)である私たちが常にしているものです。
これは辞めることはできません、というか辞めなくていいものですね。
でもそれを気にかけないことも自由です。
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これも似てるようで、全然違います。
これが人の携わり方の差です。

具体的に言いますと、
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どんな神様や仏様が、どこにいて、どうやって坐っていらして、
私たち凡夫が、どうやって願いを立てて
どのように叶えて、
それを繰り返して豊かになってゆくか。
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巡禮記のお話って、そんな「信仰」のことなんです。
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