講話会レポート

魂を何度も成功させる秘訣は 熊野 にある

投稿日:2018年2月4日 更新日:

熊野は 黄泉の国の入り口。
そういわれれば忌みごとのように、
恐ろしくて近づけないって 嫌う人もいるだろうけど、

陽の当たる昼の世(この世)を司る 伊勢との対比をすると、
まさに、あの世と この世。

 

 

でも、その二つの世界の間を
何度もくぐり抜けてきた あなたの魂にとって、
どちらが先で、どちらが後なのかってことは

どちらが先でも後でもないということだし、
どちらでもいいということだとして、

どちらかが安心できて、他方かがしんどい ということは
「両方しんどい」ってことなんだよ。

だから、この世も あの世も
素晴らしく、忌み事なきようにしたいよね。

どちらかに遺恨がある魂を持つ人は、
必ず、闇(黄泉)を嫌い、

死を恐れ、死んでる者を忘れようとするから。


 

俺はね、
この黄泉の国の 入り口で、「高笑い」できる人が、
「成功」という 陽の当たる場所での 頂点を、
何度も 極めることが できる人だと思ってる。

闇 というものを 遺恨なく 知っているというか・・・
「黄泉の安堵」というのかな?
つまり 極楽浄土 だね。
魂に その 善き記憶 が ある人は、魂を幾度も成功させる。

巡禮記が 熊野を 先達するのは、
今生での 魂 の 成功を 期するため。

つまり、あの世とこの世、両方の記憶があるはずなのに
片一方に遺恨をもって頓挫している
「魂の再生」をしてゆくんだよ。

ちなみに、先祖の菩提を追善供養しようとする人は
その場自体が黄泉の国の入り口と同じだから、
供養できることが「高笑い」と同じことになる。
彼岸と此岸の中間地点だね。

 

 

 

だからあなたと、後ろにおられるたくさんの方々を
一緒にして先達をさせていただく。
熊野が存在している意味を知って、納得して、あの世とこの世の
あなただけのオリジナルの架け橋を作る。

そしてその架け橋には「苦悩」や「恨み」や「恐れ」が
あっては動きにならない。
「智慧」と「動き」がないと生きているあなたの行き先も
力の加減もわからなくなる。

それができて「中庸」というものが解り、
あなたオリジナルの「グラウンディング」の定義ができる。

中庸やグラウンディングこそ、「思想」とか「教義」とかで
人に指図されたり、影響されるものじゃなんだよ。
みんなが、見事なまでに違う、中庸やグラウンディングの姿勢をもっているから。

でも、熊野巡礼しなきゃわかんないことが
人生の中にたくさんある。

なんでかって言うと
陽の当たる伊勢のその先の、海に突き出た紀伊半島の端に
1500年前から熊野があるからさ。

こうやって大昔から
陽の当たる場所の聖地と、
黄泉の国の聖地が
私たちのために残されているから。

巡禮記

 

 

 

-講話会レポート

執筆者: