「欲望」 が「願い」に成長し、
「祈り」 へと錬成されてゆく、とてもいい見本。
マネするのなら、こいうとこをマネしましょう。
厩戸皇子(うまやどのおうじ)は、
他者を凌駕する力を持ちたい!という 「欲望」 を抱いた。
その欲望は 、
国を統制して豊かにしたいという 「願い」 になり
仏教を擁護援用した。
そして憲法を作り、遣隋使制度を産んだ。
そしてその願いは自分亡き後も、
自分が作った国が豊かにあり続けるようにとの、
「祈り」 となり、
最澄・空海という日本仏教の根本になった僧を
唐にわたらせて学ばせ、
広く日本人が仏に帰依することができるようになった。
最澄も空海も、聖徳太子を好きで好きでたまらなくて
必ずその像を刻んで傍に置いたのは、 こんな理由なのだ。
「聖徳太子さまが遣隋使制度を作ってくださらなかったら、
私たちは唐へは渡れなかったのだから」と云って、
聖徳太子様の祈りを叶え、今に引き継いでいます。
マネするのなら、
聖徳太子が実在したとかしないとかの
しょーもない議論に加担しないで、
まぎれもなく1400年前から現代まで続いている
この「欲望」から 「祈り」への錬成を学んだほうがいいよ。
これはカタチが違っても、
大小相違あっても、
誰にでも、とても簡単にマネできるから。
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