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【根本中堂の中庭で】

投稿日:2018年5月20日 更新日:

【根本中堂の中庭で】

数年前のこと。

比叡山のお詣りの時に
根本中堂の中庭を眺めてたら
不思議な丸いものがふわーっと見えて

こんなメッセージをいただいた。

 

その時わたしは
奈落の底のような気持ちにいて、

落ちる理由すらも貪るような自分が
仏教界でいう餓鬼や夜叉のようで
すっぽりと迷いの中にいた。

 

そして手を合わせても、言葉が出てこない
という状態をそっとそのままにしていた。

 

優しそうな中庭の主は、私が数日後に
この暗闇を抜けることを知っていて時間差で
わたしにこれを感知させてくれたのだろう。

 

ずいぶん前の出来事だけれども
いつまでも、大切にしていたい出来事だ。

宗派やあらゆる人の垣根を超えたところで
ただ一人の人間としてご神仏に手を合わせる、

そんなシンプルさの繰り返しである
巡禮記のお詣りだからこそ

時々こういうメッセージに出会うのだと思う。

 

個人的なものですが、
伝わる人に伝わるなら、と思いシェアします。

 

*******************

「ひとにはひとの明かりがあり
明るさも色も大きさも異なるが

照らしてあげねばならぬ人もなく
照らしてもらわねばならぬ人もない。

 

理由なしに、こう生きると、
自分で決めるちからを 勇気というならば
その明かりは勇気そのものいう。

 

 

多様な生き様が混じり合う
混在の場でこそ「理由」は磨粉となり
迷いにもなる。

 

ここに来て手をあわせるならば
何者でもない理由なき己に逢いなさい。

 

意味付けも賞賛も否定もない、
ぽっかりと空いた中庭のような己から

理由なしに、こう生きると
自分で決めるちからが
湧き出るまで。

 

 

その明かりで、一寸先の歩みを
ふみだせるまで。

 

 

どこまで理由を白紙にしても
どれだけわからなくなっても

神仏や先人の護りという後光のもとで
そこに立っているのだよ」

 

******************

わたしの選ぶ今、の点を灯すのは
わたしを生きると決める勇気だけじゃなく

たくさんの護りの明かりもある。

点と点がどんな軌跡を結ぶかはわからない。

だからこそ、いつも、中庭のような己から
小さな明かりを信じて踏み出し続ける。

多様な生き様が混じり合う
混在の場でこその 喜びを 見出し続けるよ。

 

記: 松本育子

 

●巡禮記 遠足 ツアースケジュール

http://susagen.ciao.jp/junreiki.com/01/10/130

 

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