その他のお誘い ツアー・遠足 ツアー遠足おさそい ブログ 巡礼のおはなし

【《忘れる》という供養】

投稿日:2017年4月11日 更新日:

【《忘れる》という 供養】

巡禮記 遠足では  神社仏閣へお願いごとをしにゆくお詣りと同時に

【供養】ということがどういうことなのか、それをしたら

どんな風に生きやすくなるのか、という話が

出てきます。

.

今という起点から、未来に伸びる願いと

過去に伸びる回向の気持ち【供養】を

同時に満たすのがその人の「祈り」です。

.

なぜなら、願いは日々の暮らしの集大成から

溢れてくるもので、それを一緒に支えて

応援してくれるのはご先祖さまはじめ、

もっと厳密に言えば自分自身の過去の全て

だからです。

.

願いと回向(供養)を同時に合わせて祈るとき、

とても正直で、まっすぐな祈りになります。

.

過去を回向(供養)して仲直りして

ありがとうが湧き出したら、

その積み重ねの全ての最先端にいる自分を

なんの理由もつけずに許せたら、

.
これからの生きる選択肢が変わって行く。

道が、拓けて行く。

.
だから、自分のための、供養です。

.
ゆっくり時をほどいて、ご縁の先までを

見えない応援団にしてゆきましょう。

 

回向(供養)の過程でとても大切なのが

散り際を忘れるというご供養の祈り

です。巡禮記の遠足でお詣りしている中で

この散り際を忘れる祈りは、必要な方には

先達からも個人的にも必ずお伝えしている

お話です。

忘れないことがご供養だ】と

よく、先達が言われていますが、

この【散り際を忘れる祈り】は

矛盾していなくて、むしろやってみると

その本当の意味を感じることができます。

散り際を忘れることが、その方の魂の光を

忘れないことになるんです。

.

散り際とは、亡くなられた方の死に様です。

特に、悲しみや後悔を伴う亡くなり方の

個人的な記憶、未浄化な念、です。

.

痛みや病気の苦しみで亡くなられた方々の

死に際や死因や懺悔・後悔を、子孫の

生きた私たちがずっと覚えていたら、

ご成仏を助けることになるでしょうか。。。

【散り際を忘れる祈り】をするとき、

その方の死に様への罪悪感や

蓋をされてきたことへの影響の怖さ、

代々語り継がれた不安などが

伴っていることもあります。

自分がそこに重ねていたことで

握りしめている想い、悲しみ、罪悪感

などを観音様やご神仏に委ねてみましょう。

 

ご先祖さまもご自身もお互いに楽になり、

自分の願いのままに前に進めるための

大切な祈りの場となってゆくでしょう。

.

苦しい引っかかりを、あったかい応援として

または、大切な学びや智慧として、

背中に受け取っていけるようになります。

この祈りを、意識されてご供養を重ねて

ゆくと、まず生きるのが楽になられたり、

不要な罪悪感がなくなったりして

とてもスッキリされてくる方が多いです。

.
さらに深く護られてるように感じて、

感謝が自然にお腹から湧いたりされる方も

実際に多いです。ご先祖さまへの感謝は

無理やりするものでもなくて、こんな風に

回向(ご供養)によって、

積み重ねの最先端にいる自分自身を

許したり、しっかり受け止めたりする

ところから溢れてくるのかもしれません。

.

もちろん何も感じなくても、

それが祈りの目的ではありませんから

いいのです。

「供養」は回り回って自分のため。

 

ご先祖さまの供養は同時に自分自身の

たくさんの記憶たちの供養でもあり、

今生きる縁故を温めて、願いを生み出し、

喜びを何倍にもしてゆけるものだと思います。

.
両手の手のひらを合わせるとき、

願いを口にするときにはそっと、

見えない応援団が暖かく傍にいてくれる。

それはとても嬉しいことだと思います。

 

巡禮記 供養会 のお誘い

どうやってご供養するかわからない

うちのこんな場合はどうしたら?

にとても丁寧にお答えします。

国籍や宗派問わず「信仰」を大切に伝える

巡禮記だからこそ、できる供養会です。

とても古くからある、寺院の僧侶の方に

導師をしていただき水塔婆をあげます。

遠隔によるご供養会参加、現地先達つきの

供養会参加、どちらも可能です。

この機会に、巡禮記の伝えるご供養の

安心感とご自身の確かな感覚を体験して

くださいね。

巡禮記  供養会 の詳細はこちら

 

記:  松本育子

 

-その他のお誘い, ツアー・遠足, ツアー遠足おさそい, ブログ, 巡礼のおはなし

執筆者: