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【先達時事】成りすましや、ごろつき龍の見分け方、付き合い方

投稿日:2017年11月9日 更新日:

マジで厄介な ごろつき龍、つまり神仏の「成りすまし」とは、
一言で言いますと、こう解説することができます。
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成りすましは、何らかのメッセージをもってやってきます。
でも深く修行を納めて「悟り」を得た神仏ではなく、
それらは神仏を「まねて」、
自分と同じような欲望(魂)を持つ人に近づいて憑りつこうとします。
つまり一般的に言われる「憑依霊」のみなさんです。
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とりつかれる人の側では、
それを知ったうえで、
同じ志(こころざし)を見出して共に動くなら「同志」となり、
共に本物のご神仏のバックアップを得て
その満願を目指せます。

つまり、憑依霊と知って、ともに動くことを許可して、
本物のご神仏の助けを得て行動すると「供養」ということになります。
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しかし、それと正反対に、正体を知らずに、見えたり感じたままに、
大天使だ!龍だ!観音だ!女神だ!と、騒ぎ立てて取り入れれば、
単なる「憑依(ひょうい)」になります。
とりつかれた人は、時空感覚がマヒしてしまい、世捨て人のようになっちゃうのが関の山ですね。
実際にそんな人をご覧になった方も多いと思います。
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生きている時代も、志も違いますし、
ほとんど、成りすましのほうの思惑に引っ張られます。
最近流行っている、
誰かに憑けてもらったり、憑けに行くのはほとんどこの類です。
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ちなみに、成りすましやごろつき龍に
善悪はありません。
存在することの満願を達そうとしているだけで、
憑いた「人」の都合によって善悪が決まるんです。
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例えば、ちゃんとした龍神信仰に導いてくれるなりすまし霊であれば
それを目指す人にとっては「善」になるけど、
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この、ちゃんとした「龍神信仰」を促す霊は、
人にごろつき龍を憑けて商売しようとする龍づかい?には、邪魔でなりません。
ですからそんな人には「悪」になります。

ごろつき龍に憑かれたり、憑けられたりした人は、
にわかに表情や肌の色が変わり、
行動も不穏になり、すべてのことに超!開放的になったり
逆に超!閉鎖的になったりしますし、
低迷していた商売が、無秩序、無計画に業績向上したりしますので、
周りの人はびっくりしますね~

でも、そのあとすぐに大損害を出して消滅します。
その部分は誰も気づかないうちに消えてゆきますので、
大成功したことだけが記憶に残るように画策されます。
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そう言えば、巡禮記の先達が、一緒に仕事をさせてもらったり、
お手伝いをしていただいている、
熊野の日秀上人や文覚上人、
沖縄のノロのナギ様も・・・
実は成りすましだったんですよ。
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はじめは得体のしれない形で登場しましたもん。
地蔵や不動明王や龍神の姿でしたね。
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でも正体を解明する努力をして、志をおたずねしてゆくうちに、
人の姿に戻られて、それぞれの志を表現してゆかれるんです。
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今ではお互いの信頼関係で、
たくさんの方の先達を共にしていただいてます。
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その代わり、その出生や、満願できずに没されたことの供養を
巡礼の中でお手伝いすることを約束させていただいてます。
これが巡礼行という先達の修行となるわけです。
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だから先達は、成りすまし や ごろつき龍、
ついでに野狐(やこ)というのがとてもよく解るんです。
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田中なんかは、入れ替わり立ち代わり、常に野狐を群れで連れていました。
これは伏見稲荷の先達であるからあたりまえなわけです。
でも、「やさぐれた狐の元神様」というその影響は受けず、
伏見の山に還りたいという志を、お互いの供養として「共働」しているわけです。
(現在はこの行は満願してますのでやってません)
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松本育子は、記事にもするでしょうが、
エジプトの「イシス」という声を、幼いときから繰り返して聴いています。
これもイシス本体の声ではなくて、
かつてイシスを熱心に信仰していた「人」の「成りすまし」なんです。
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しかし、ちゃんと聴いてみるとですね、
ローマによって滅んだこの女神なんですが、名前と彫像が残っていますよね。
ですが、信仰されないまま4000年以上経ってるわけです。
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つまり、この成りすましは、イシス神を今の日本の仏と習合してほしいという
「信仰継続の願い」をもって、神の言葉で成りすまして現れるんです。
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ですから先達は、イシス神と同じお仕事を現代、日本でなさっている仏(如意輪観音さま)と、
このイシス神を同じとみなして供養するわけです。
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そうすることによって、この成りすましは、自分が信仰していた神が
現代においても信仰されることを確認して、ご成仏に上がられて、
それを手伝おうとなさるわけです。
これで、松本と成りすましは同志となり、満願するわけです。
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勉強してない人が、このなりすましの声を聴くと、
そのままイシスを信仰する、スピ新興宗教みたいになりますよね。
アヌビスや ラーや ファラオも登場して賑やかなことでしょう。
成りすましにとってはこれも納得なんですが、
スピ新興宗教は一代限りの世捨て人になります。
やがて廃れますので、成りすましにとっても結局満願にはならず、
何世紀にもわたって憑依を繰り返します。

(ちなみにイシス神本体は、ローマ時代にマリア様と習合されています)
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巡禮記の遠足やツアーに参加するうちに、それがよく解ってくると思いますので、
皆さん自身も、成りすましやごろつき龍の見分けができてくると思います。
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ちょっと難しかったかな?
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須佐厳
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