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なんで悲惨な状況で、宮司が交代されなければいけなかったのか?

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べつに、その神社に神様がいなくなったわけではありません。
悪魔に乗っ取られたとか、好きなことを言う人がいますけど、
その神社は、巡禮記の須佐厳が先達させていただいたこともあるくらい、
ちゃんと神様が坐っておられ、氏子さんもたくさんおられる由緒ある神社です。

でもね、須佐厳は皆さんを宮司に会わせたり、
正式参拝はしたくなかった。

そんな神社はたくさんあるんだけど、
特にここは、神様を訪ねるだけで、神職には誰一人にも会いたくない
話もしたくないと、
そう思わせるようなところでした。

神様は神職には「清貧」を力強く求めます。

清貧であり、持論は一切慎み、神の世話に明け暮れ、
遊興せず、神事常に手厚く、
神宮寺(深川不動尊)への帰依を怠らず、
氏子との親交を和し、人として手本となること。
(須佐厳は神官だけにはなりたくないと思っています)

これを強く強く求められます。

ご祭神は 八幡大菩薩様 なんです。
しかも!お祭りなさったのは、
菅原道真さまの末裔といわれる長盛法印公です。

そしてしかも!誉田別命(ほむだわけのみこと)として
お祀りされています。

つまり、上の強く強くは神官として
「裏切ってはならない絶対必要条件」なんです。

歴史の中で、宮司・神官筋が神様によって家ごと絶たれるということは
何度も何度も何度も何度もありました。

祝詞の中にある
「畏み畏み(かしこみかしこみ)申す」が
またったく成されていなかったのですね。

宮が荒廃したり、神官が畏みを忘れたときは、
天津神(あまつかみ)や弁才天様などのご祭神であれば
その宮からは、嫌いな神官とご眷属を残して
御霊を別の場所に移動されますが、

八幡さまや天満宮の場合は鎮守がお仕事ですから
いなくなるようなことは絶対になく、

宮司を交代させます。

それだけのことなんです。
昔から祀りごとが乱れたときに連綿と繰り返されています。
何も驚くことはありません。
神様の世界と、清貧にそれに携わる専門職とのことですから、
神官側に容認できない服務違反があったんでしょうね。

これからも巡禮記の先達は、
皆様に紹介したい宮司、会わせたくない宮司の区別を
しっかりと持って先達に従りたいと、
心を新たに思いました。

そして、深川近辺の八幡信仰なさっている皆様。
神社側の構えは全く無視して、
富岡八幡宮には、安心して初詣にお出かけください。

鎮守の正八幡大菩薩様が、何も変わらずお待ちになっておられますから。

須佐厳



この神社は先々代の宮司が明治の廃仏毀釈の時に
みずからの手でご神像を燃やしてますよね。

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