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【供養】

投稿日:2019年2月13日 更新日:

【供養】

 

「供養は自分の幸せを

みていただいて、共に喜ぶ事だよ」

先日聴いた、先達の言葉です。

 

供養っていうと

なんとなく

供養しないとご先祖様が

祟るかもしれないとか、

バチがあたるんじゃないかとか

しなきゃいけないものだとか、

そういう不安や怖さ、

世間一般の不明確な習慣のままに

従っていることも多いと思います。

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けれども

ひとの霊性というのは

こうあるべき、と決めつけたり

怖さで枠固められてしまったり

特別視したりするものでもなく

ごく自然に誰もに備わってる

自分そのものの拡がりとして、

もっとシンプルにそして

丁寧に、大事に扱われても

いいのではないかと思います。

「自分の幸せをみていただいて共に喜ぶこと。」

って、

誰もが負担なく恐れなく

うれしい生命の方向を向いています。

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ですから、供養は

血のつながりに どういう力を見出して、

生きる応援として  活かしていけるか

ということだと、私は感じています。

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具体的にどう活かすのか

わからなくても、

ご先祖さまと一緒にお詣りする気持ちで

ご神仏に祈りに行くと、

祈り願ったことを一緒に聴いて

叶えようとして、共に喜ぼうと

ちからを貸してくださるそうです。

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その応援は、

ときには、

ふ、と目につく 小さな石ころになったり

吹いてくる風になったり…

偶然を引き起こすあらゆる現象になって、

背中を押してくださるような気がしています。

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本人が会うべき人のところへ

導いてくれたりします。

そうした中で体験を重ね、

生まれてきて嬉しい!

嬉しくてありがとう!が

勝手に底から湧いてくることが起きると、

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自分そのものの拡がりの先っぽの方にまで

その嬉しい!の波紋が起こり、

あたたかい光が巡り届いていく。

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それが「供養」として

先祖代々、子孫代々にまで

魂全体を照らしてゆくのだとしたら、

ステキなことだと思うのです。
誰もが「応援」を持っているんですね。

その人、単体だけではなく

その人の後ろの応援も含めた全部を

その人として観るようになると、

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どんな人も今を起点にした可能性の塊として

生きておられるのだなぁと感じます。

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一生懸命やってみて

あとは、

ご神仏や見えないよき流れにお任せできる、

その信頼こそが、

何よりの供養であり、祈りがつなぐ応援の力

なのかもしれません。

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記:  松本育子


 

●巡禮記のおもしろさ。

神様や仏様のことを、もっと身近に

自分のすぐそばにあることとして

体感にいらっしゃいませんか?

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神様仏様にお詣り、というと何か苦しい

状況の人が助けを求め続けるようなイメージ

だったり、堅苦しい決まりだったり、

特別視したい心理をくすぐるものだったり、

そんな風な概念も多いかと思いますが、

人の信仰には神仏習合の頃からの

分け隔てない「楽しさ」「夢」といった

今の自分の可能性に触れていくための要素が

たくさん詰まっています。

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巡禮記の遠足、ツアーで

神様仏様のことや祈ることの自由さを

知ってゆくと、自分の五体手足を使って

お詣りすることがどんどん楽しくなります。

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祈ることにどんどん無邪気になれます。

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身近な存在として、ご神仏に手を合わせて

祈ったように生きていくことを

面白く、楽しく、真剣に選んで行くことが、

難しくなくなっていきます。

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なんの知識もいりません。

宗派や国籍、老若男女問わず同じです。

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ご神仏とのお付き合いの仕方については

人の数だけ例もありとても幅広いので

一人一人全員に

違う祈り、違う暮らしがあることを

何よりも大事にしてゆくのが

巡禮記のスタンスです。

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一人一人にできる、ご神仏とのお付き合いの

提案やアドバイスなどを

先達の豊富な経験から伝えてくれます。

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祈りを揃えない面白さは遠足やツアーで

ぜひ体感しにきてください。

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