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【オンラインお話会問答①】お念仏の宛先

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●ご質問

オンライン巡禮記の質問です。
毎朝、お仏壇に納めているお位牌に、お名前が書かれている方とお位牌はないけど自分に縁が深いと思う親類のお名前を言ってから南無阿弥陀仏と10回唱えています。

親類以外に縁のある方もお念仏を唱える対象に加えてもいいのでしょうか?

実は亡くなったお華の先生は大事な方なので、
お名前言ってお念仏唱えてますが、血縁や親戚ではないのにいいのかな?とふと思いました。


 

●回答

どこのどちらさまであっても、ご血縁ではなくても、
例えば、小さな時にかわいがってくれた、隣に住んでたお年寄りを覚えているなら、
また、この方あって、私アリと思える、この華道の先生のように、
あなたの自己確立を手伝ってくださった故人を覚えているなら、
どうぞ、その方も宛先にして、お念仏を納めていただきたいです。(※1)

お念仏が故人に対する「供養」になるということは、まあ、今更説明しないでも、
ここにいらっしゃる全ての方がご理解できているとは思いますが、

何よりも、人は、この地球上で唯一、「信仰」というものを持つ魂がコアになっていて、
なおかつ、生きていても、身体がなくなった後も、「孤独」というのを嫌います。

ですから、やはり魂のゆくえの事を知っている仏さまとの縁(仏縁)に自分の魂を置き、
怖れや迷いなく、仏様の加護の元で暮らしたいと考えるのは、あたりまえのことなのです。

お念仏というのは、みな、阿弥陀如来さまの元で、怖れや迷いというものを安心に変えて、
未練や遺恨なくご成仏に上がり。
輪廻転生の順番にはいって、また再び元気な命として生まれ変わってくるんですよ!という
弥陀の本願の中に私もあなたもいるんだという呼びかけみたいなものと思っていただければいいと思います。

魂は逝き、また生まれるのだ、だからそこに憂いなく。ということを伝える。
これが、生きている私たちがプレゼントできる。
生死を超えた、愛する者へのギフトなんだと思います。

これを勘違いしている人ってたくさんいるんですけど、
見かけ上、何かすごいことをしている人の思想や行動(一時的な金・富・権力・発言力・閃光)に群れて、
自由に優しさを発することや、愛情を傾けることによって得られる「良縁」を、
「捨てさせられる」という方向に傾いてしまってる人たちなんでしょうね。

ですからなおさら「南無阿弥陀仏」なんです。
それらに群れることによって失われた魂の輝きを、懺悔しながら取り戻し、元通りの方向と推進力に治そうとする力もありますから。

 


 

この問答集では、お話会では時間的に表現ができなかったり、
文字にしなければわからないことなどを加筆してます。

*1、日蓮宗や法華宗のように、お念仏を唱えない宗派であれば、
その宗派に準ずるお題目でいいと思いますし、
また、神道のご家系の場合、禊祓祝詞などをご唱和されるのもよろしいかと思います。

 

 

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