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巡禮記は神仏の名を語って「依存と執着」を作るスピ団体の一味なのか?!

投稿日:2020年7月10日 更新日:

極めてまれに、ご参加者さまから投稿いただくことのある、
巡禮記を通じて、実際に進展をご経験なさった人の書き込みを見て、
「巡禮記というスピ団体に依存している!!」と色眼鏡で見られることがまだ多いんです。
いままで黙ってた人が、突然!成就したことを書き込んでいるわけですから、
新興宗教のサクラ記事のように見えなくもないかもしれません。
 
ほとんどの信教や宗教団体が、その、「依存させる」ということに加えて、
これまた「執着するように」指導をしていて、
殊に新興宗教や、流行りのスピリチュアルな団体では、ミラクルなものをフィーチャーして営業的に折り込んでいますので、
「依存している」と見られて仕方ないんだと思います。
痩せませんし、生えてくることはありませんが、痩せたり、髪の毛が生えてくるサプリメント信仰的な考え方だと思います。

みな口々に「依存を開放しましょう」とか「執着から離れましょう~」と口やかましく指導しているのが特徴で、
結局は依存と執着を強烈に強いているわけですから本末転倒ですね。
 
例えば流行っている「委ねましょう~」という言葉に
それは象徴されているのではないかと思います。

奇しくも現在使われている「委ねる」というのは
努力のない「丸投げ」になるように指導している集団が多く、
そうなると、これは神仏ではなくて、
「委ねましょう~」と言ってくれた「人」のほうに依存と執着が発生するように操作されますから
委ねた人には何事も動くことなく、後退して退転してから気づくことが多いようです。

いや! 転落してもそれに気づかないようにして依存を継続させようとする
スピリチュアルな団体も多いですね。
  
巡禮記はご神仏様との対峙のしかたを、
先達がその時その時のすべてのその人の環境や状況を踏まえて、
「すべてが適切に対応しあえる状態であるように」ピンポイントでお話をさせていただいています。

例えば「委ねる」ということを解釈する時も、
「万事を尽くして天命を待つ」という方向に動きを持っていただこうとします。
万事どころか、何の努力もしないで、委ねましょう~と言われて動けなくなってしまった人が
あまりにも多いからです。

つまり、丸投げではなくて その人の願いを適切な神仏の前で「細分化」し、
万事を尽くすことにウエイトを置いています。

そして、
●「その人に足りなかったもの」がその人自身にわかるように。
●これからの歩みにおいて、その人に「足りないもの」が見えてくるように。
●誰に、何を、いつ、どうされて、現在の自分にしてしまったのかを発見できるように。

次に、その祈りを計画的に
●時々立ち止まって周囲を見ることができる環境を作りながら
●スタート地点、到着地点を眺めることができる、クリアな思考を保ちながら
●自分に足りなかったものやチカラをつけてゆく現実的な動きをしてゆく

祈り先を変えたり、増やしたりしながら
沢山のご神仏と、その人と、その人の先祖やご縁故の方との縁を繋ぎながら
活動範囲を高めて拡げてゆきます。

その行動のすべてを、つまり、その祈る人が気づけるように
動きを作っていますので
「依存や執着」とは実は全く無縁なのが巡禮記なんです。

自分が気づくことできた上での努力というのは
想像以上に楽しいものですから、ライフワークみたいになってきます。

ですから、サクラ的書き込みがとても少ないし
少なくとも、お参りに行ったことを「呼ばれたんですよ」なんて、恥ずかしい書き込みもない。
なにより「いいね!」が圧倒的に少なくていいんです。
巡禮記ってミラクル団体ではありませんので、
誰かが叶ったことをミラクルにして共感(嫉妬)を誘うような記事がないんです。
だからあたりまえですよね~!

巡禮記先達

 

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